66年前、19歳で米国を訪問された「天皇陛下」と映画「ローマの休日」

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 その古ぼけた英文の手紙は、ニューヨーク郊外の邸宅の書庫にひっそりと眠っていた。収めたファイルには、「Crown Prince Akihito」(皇太子明仁)との手書きの文字が見え、日付は1953年10月16日、宛て先は東京の宮内庁の三谷隆信侍従長とある。

「皇太子が米国訪問を楽しまれたのは、とても喜ばしく、その日程にささやかな役割を果たせたのを光栄に思います。(中略)殿下がミュージック・ホールのショーの観劇だけでなく、映画『ローマの休日』を観るまで残られたと聞いて、とても喜んでおります。その後で、皆さんに、何も問題が起こらなかったことを願います!」

 ちょうど4日前、皇太子は半年余りに及ぶ欧米への外遊を終えて帰国したばかりで、ニューヨーク滞在中に鑑賞したのが、公開された直後の映画「ローマの休日」だった。

 オードリー・ヘップバーンが演じる欧州の某国の王位継承者、アン王女は、親善旅行でローマを訪れたが、分刻みのスケジュールと公式行事でのスピーチにうんざりし、夜、宿舎の大使館を抜け出してしまう。

 そこで偶然知り合ったのが、グレゴリー・ペック演じる米国人の新聞記者ジョー・ブラッドリーで、彼女を自分のアパートに連れ帰って一夜の宿を提供した。翌朝、目を覚ましたアン王女は驚きながらも、せっかく手に入れた自由を捨てるのを嫌い、ジョーと一緒に普通の女の子のようにローマ市内を散策する。そして、いつの間にか、2人の間には強い恋心が芽生えていく……といった物語だ。

 この映画を観た皇太子への影響を心配する手紙を送ったのは、ジョン・ロックフェラー3世、米国有数の財閥ロックフェラー家の一員であった。

 4月末の天皇退位に伴って、30年に亘って続いた「平成」の時代は終わりを告げる。この間、天皇は皇后と共に自然災害の被災地を訪れる一方、沖縄やフィリピン、サイパン島など戦火に見舞われ、多くの戦没者を生んだ土地へ慰霊の旅を続けてきた。

 被災地では当初、床に膝をついて労わりの声をかける姿が驚きを持って受けとられた。またサイパン島では日本人だけでなく、米軍兵士や韓国人の慰霊碑にも立ち寄り、その一方でA級戦犯が祀られた靖国神社は即位してから一度も参拝せず、それには国内の保守派から疑問や反発の声も出た。

 本来、日本国の象徴である天皇には受け身のイメージが強いのだが、こうした行動の裏には、天皇自身の強い意志と決断が滲み出ているように思える。その行動原理の源泉は一体、どこにあるのか、その答えを示唆してくれるのが、ロックフェラー財閥のアーカイブに眠る66年前の手紙だった。

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