平成の世が生んだドラマ3本といえば……ヒントは水谷豊、真山仁、キムタク
「平成の世を生んだ3本」編の後は、ちょっと紛らわしいけれど「平成の世が生んだ3本」編。「歌は世につれ、世は歌につれ」式で言うなら「歌は世につれ」のほうをどうぞ。
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●「相棒」[2000年~/テレ朝系]23.7%
2000年に「土曜ワイド劇場」で単発2時間ドラマとして始まり、02年から連ドラ化。この3月までに17シリーズ、映画版4本を生み出した大ヒットシリーズで、スペシャル版や映画版まで含めたこれまでの総エピソード数=332話は、平成のプライム帯連ドラとしては2位です(トップが何かは、この後お知らせを)。
「土ワイ」の一作として生まれ、平成を代表するTVドラマに化けた「相棒」の人気の基盤になっているのは、警察が象徴する権力への不信でしょう。神奈川県警の覚醒剤使用警官隠蔽に音楽隊女性隊員殺害、埼玉県警の桶川ストーカー殺人、栃木県警の栃木リンチ殺人、新潟県警の新潟少女監禁あたりの発生やら発覚やらが1999年から2000年。自民党→民主党→自民党の政権交代が09年と12年。国家権力だけでなくマスメディアも批判の対象に据えていたのが「相棒」の新しいところでもあって、初代相棒・寺脇康文の私生活でのパートナーは全国紙の女性記者(後にフリーランス)でもあった。
この作品が大当たりしたのは、立法・司法・行政の三権にマスコミ、このあたりがまとめて機能不全だったから、そして、ニッポン全体が右肩下がりだったから。そう考えると、ますます「相棒」、平成を代表するドラマだわ。
●「ハゲタカ」[2007年/NHK]8.7%
「ふたりっ子」に続いて国営放送物件、しかも最高視聴率が2桁未満の連ドラが、なぜ「平成の世が生んだ3本」に? この問いへの答えは2つあって、拙稿「平成のドラマを変えた3本」ですでに書いています。第1は「ニッポン全体が右肩下がりだったから」、第2は「バブル崩壊で民放の勢いが落ちていく一方で、受信料=放送血税に支えられるNHKのほうが攻めた番組作りをやれる」から。
バブル後の世で弱ったニッポン企業が、外資のハゲタカファンドに買い叩かれ、喰い荒らされる──そういう手前勝手な被害者モードが、無能で無責任な経営者&政治家&役人の言い訳であることを喝破した真山仁の原作群を、民放(テレ朝)がドラマ化できたのはようやく去年になってからで、しかも、その作りも貧弱だった。10年以上前のNHK版は、出演した大森南朋と松田龍平をTV界の注目株にし、制作を担当した訓覇圭(石田ひかりの夫)を大物プロデューサーにしただけのことはある出来で、それまではおっさん向けのバッタもん商品だった経済ドラマが、知的でカッコいい作品になることまで証明してます。
視聴率だって、最高で8.7%という数字は民放と比べると低いようだけれど、5%を超えれば御の字というNHKの土曜夜のドラマとしては上の部類。このあたりに民放が着目しないはずもなく、「半沢直樹」(TBS系)、「花咲舞が黙ってない」(日テレ系)、「下町ロケット」(TBS系)といった、池井戸潤劇場の誕生と成功につながっていきます。それゆえNHK版「ハゲタカ」は、「平成のドラマを変えた1本」にも認定できるものの、後続の経済モノの数々は、視聴率はともかくドラマとしてのクオリティーでは元祖に及んでいない。今作の大河では、国営放送の権威を傘に着たような無駄にゴージャス、かつ、無意味に頭でっかちなプロダクションで「いだてん」をコケさせてる訓覇Pの仕事としても、「ハゲタカ」はベストの一作でしょう。
●「CHANGE」[2008/フジ系]27.4%
「ヤバい。ヤバすぎる。どれくらいヤバいかって言や、たとえばヤマタク総理誕生なんかより全然ヤバいよ、キムタク総理――/問題は、アレが一国の宰相演じられるタマか、ってところにはもはやない。キムタクなぞとんでもないと言い立て、騒ぎ出す人も根拠も見当たらない現状です」
「木村クンの演じる職業についちゃ、前から批判はあった。『HERO』での検事。『華麗~』での経営者。/検察の幹部の女性スキャンダルや組織的な裏金づくり疑惑が出た後のヒットが『HERO』だし、失われた十ン年で戦後ニッポン経済の裏がモロバレになってからのリメイクがキムタク版『華麗~』だった。『CHANGE』だって、まがりなりにも企画が成り立っちゃう土台には、政治なるものの惨状、何より日本国内閣総理大臣のダメさがある」
「そしてキムタク、位、人臣ヲ究ムル。誰がやっても同じだよ、とは首相交代のたびに聞くセリフですが、そういう諦観が『キムタクがヤっても同じだろ』ってレベルにまで達した。/マリー・アントワネットも言ってたな、パンがないならケーキを食べればいい。21世紀のジャポンでもパンの供給はとうに途絶え、飢えた(かどうかもわからない)臣民の前に据えられた甘い甘いスイーツ、それがキムタク総理。/あれ? そろそろ革命?」
以上、長い引用で恐縮ながら、「週刊新潮」2008年5月29日号にワタシが寄せた「CHANGE」評より。繰り返しになるけれど、総選挙で政権が自民から民主へと移ったのは翌年9月のことです。
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