元アイドル「甲斐智枝美さん」の自死 “ポスト山口百恵”の暗転人生【平成の怪事件簿】
スナックでバイトの日々
甲斐が長谷部さんと結婚したのは平成2年10月。恋の成就は、20歳から7年越しの交際を経てのことだった。甲斐はすでに女優業に転身し、ドラマ出演などを中心に芸能活動を続けていた。
結婚を機に夫の実家(習志野市)で両親と同居し、婚約会見で「子供はすぐにでもほしい」と言っていたとおり、翌平成3年には待望の第1子が誕生。次男を平成6年にもうけている。
このころ夫の長谷部さんはザ・スクエアを脱退し、スタジオミュージシャンの肩書きは持つものの、実家の自動車整備工場を手伝い始めていたらしい。
子育てに専念した甲斐の芸能活動は事実上の引退に等しかったが、近隣の住人の評判はきわめて良好だった。元芸能人といった気取ったところがなく、気さくで、子供が小学校にあがってからはPTAの役員も務めている。ただ、子供の手が離れたら芸能界に復帰したいという願望は周囲に語っていたという。
誰の目にも幸せそうに見え、円満なはずの生活に“変化”が見られたのは、自死を選ぶ6年前(平成12年)ごろのことと思われる。
甲斐は、近所の生花店にパートの勤めに出ていた。また、所属していたホリプロの先輩・榊原郁恵には「芸能界に復帰したい」と電話で相談してもいた。経済的に苦しくなっていたのではないかとする見方がもっぱらだが、それが顕著になるのは死の1カ月前からスナックで週3日のアルバイトと生花店でのパートをかけ持ちしたことからも窺える。
夫の実家の自動車整備工場は、決して芳しいとは言えない経営状態だったようだ。甲斐がスナックに勤め出したのとときを同じくして、長谷部さんの給料は30万円から20万円に引き下げられていた。夫の減給に激昂した甲斐が、舅に物を投げつけたとの話も漏れ伝わっている。
家庭内の金銭的なトラブルもなかったわけではないらしく、福岡県に住む実父和徳さんの証言によれば、甲斐が結婚前に貯めていた600万円はほとんど底をついていたとのことだった。
「智枝美は結婚生活に殺されたようなもんだ。(中略)孫にも、もう会いたくないんだ。あそこにいるのは、智枝美の子供じゃないと思っている。そう自分にいい聞かせている。あくまで、徹の子供だとオレは思っているから」(実父談「女性セブン」平成19年7月12日号)
娘の死に怒りを隠そうとしない実父は、習志野署に再捜査を依頼する手紙まで出していた。
それほどに甲斐の自殺は突然だった。
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