天皇皇后両陛下の「サイパンご訪問」秘話 関係者に明かされた“鎮魂への思い”

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幻の訪問地

 戦争を最も忌むべき記憶とするアダさんは、天皇陛下の「ご苦労されたのでしょう」との言葉にも、戦争というよりは、むしろ自分自身のサイパンと日本の架け橋として生きた人生を話していたという。
 
 残念ながら、記憶力の低下が見え始めているアダさんには、行きつ戻りつし、会話の詳細を思い出してもらうことは出来なかった。だが、「とても丁寧な方でしたよ」と、お2人の印象を語ってくれた。
 
 そして、何よりも夕食会に招かれたことを「誇りに思う」と繰り返した。フロレス氏の話によれば、戦後、サイパンに残留した多くの日本人のリストから彼女が選ばれたらしい。名門のアダ家に連なり、カトリックが大半のサイパンで尊敬される修道女であること、この二つが理由だったのではないだろうか。その二つはいずれも、日本人・西川君子であった彼女が、自分自身で選んだアントニエッタ・アダとしての、もうひとつの人生の結果だった。戦争に翻弄された運命を、日本とサイパンの絆に昇華した、その人生に敬意を表して陛下は「上座」に招いたのだろう。
 
 慰霊の旅にかける陛下の並々ならぬ思いは、次に紹介する夕食会の際の秘話にも象徴的に表れている。やはり両陛下と同じテーブルに座った当時の日本航空サイパン支店長、吉田伸一氏が証言する。

「最初は、場を和ませるためだったのでしょう、お二人のなれそめや、お若い頃のアメリカ訪問時のエピソードなどを話されました。そして、戦争の話になったのですが、天皇陛下自ら、話題にされたのが『月見島』のことでした」

 サイパン玉砕というと、島の北端にあるバンザイクリフ、その手前にあるスーサイドクリフが有名だが、追い詰められた人々は、すべてがバンザイクリフで亡くなったのではない。岬の反対側にまで逃げて、そして、飛び込んだ海の先に月見島はあった。東海岸沿いに浮かぶ、岩礁と言った方がふさわしいほどの小さな島である。

「海が穏やかなのは、開発の進んでいる島の西側。反対の東側は、マリアナ海溝側であるせいでしょうか、海も荒れやすいのです。その荒れた波にもまれて、多くの方の遺体が、月見島に流れ着いたと言われています。陛下は、その話をご存知だったのです。『月見島はどこにあるのですか?』と問われました。『明日、ご訪問される北部の戦跡の近くです』と申し上げると、『行ってみたいな』と仰いました」

 現在、月見島は、バードアイランドと呼ばれ、海鳥の生息地として風光明媚な観光スポットになっている。展望台まではアクセスもよい。しかし、アメリカ側がスケジュールを管理していたこともあり、天皇の月見島慰霊の希望は叶わなかった。
 
「幻の訪問地」となった月見島。だが、両陛下がこの小島にまで向けようとした深い鎮魂の思いは、夕食会の列席者にしっかりと伝わっていた。

山口由美(やまぐち・ゆみ)

週刊新潮 2009年7月9日号掲載

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