孤独死した「飯島愛さん」 大ベストセラーが生んだ悲劇を振り返る【平成の怪事件簿】
大ベストセラーがすべてを変えた
その只中の07年3月、彼女は突然、芸能界からの引退を宣言する。「腎盂炎」という病気が理由だったが、病状などを知らない周囲から見ればあまりにも不可解な引退だった。
以来、死に到る1年と9カ月間、彼女は芸能界から完全に身を引き、ブログの中で時折私生活のことを報告するだけの存在となった。
なぜ芸能界を突然引退したのか。彼女の知人の一人は今、こう証言する。
「引退する数年前に、個人事務所の経理担当者に大金を横領され、持ち逃げされた事件がありましたが、それくらいの出来事では、彼女は追いつめられない。また病状が予想以上に重く、痛みのあまり夜も眠れない状態が続いていたが、これも回復を待って、できる時にできる範囲で仕事をすればいいだけで、引退宣言をする必要はない。だから、所属事務所のワタナベエンターテインメントでもそのように言って、慰留したようです。でも、“周りに迷惑をかけたくない、レギュラーで穴をあける恐れのあるタレントはプロとして失格だ”と彼女は考え、その決意が固くて、ああなってしまった。私は、個人的には、彼女が書いた『プラトニック・セックス』が、すべてを変えてしまった、あの本が大ベストセラーになったおかげで、逆に彼女自身の内部に変化が生じたためだと思うんです」
『プラトニック・セックス』は、飯島愛自身が「新潮45」にも語ったように、自らの発案で書いた本ではなかった。
正確にいえば、所属事務所であったワタナベエンターテインメントの社長が企画し、タイトルもつけたとされる。社長を中心に事務所の担当者らと飯島本人が打ち合わせを重ね、色々アイデアを出しあった。狙う方向性、セールスの仕方を含めて、事務所が総合的にプロデュースした本といえる。その本が、大成功を収めた。いうなれば所属事務所が、すでに人気のあった彼女をマルチタレントからさらに文化人的な存在にまで引き上げたのである。
「ところが彼女は、あの自分の人生の総括本で、“燃え尽き症候群”のような精神状態になってしまったのではないでしょうか。くわえて、自分の半生をふり返って、その本当の実力のほどや、限界も悟ってしまった。病苦もあったので、仕事量を減らし、出たい番組や媒体だけに出る“文化人”になるにしても、常に仕事に穴をあけてしまったり、事務所に迷惑をかける恐怖があった。毒舌キャラなどで人気を博していましたが、見た目と違い、実はすごくマジメな子なんですよ。そうした様々な悩みが、結果的に彼女自身を追いつめたのではないかと思うのです」
最終的に、彼女は芸能界からの引退を決意する。だがそれはあまりにも性急な判断であり、築いてきたキャリアを自ら断絶する“自殺行為”に他ならなかった。――彼女の知人は、引退の顛末を、そのように推測している。
引退後、彼女の内面で何があったのかは定かではない。彼女はブログの中で、揺れ動く不安定な精神状態を赤裸々に告白している。
08年2月24日付のブログでは、「この2カ月ほど、軽いノイローゼで大変でした。精神疾病です。抗うつ剤を処方されたので凹みました。抗うつ剤なのに… さらっと書きましたけど…いやー、キツかったです」と記している。
同年3月7日には、「幻聴が聞こえんだぜっ」と報告。「現金が全然ねー。これは、事件です。そこで、働く気になりました。取りあえず、かっこいい仕事を探している場合ではないので…なんか売る」と、経済的な困窮状態を訴えている。
そして11月24日には、円形脱毛症になったことを公表。自らの「10円ハゲ」の写真をブログにアップしている。
死の直前、彼女はインターネットのショップサイトを立ち上げようとしていた。女性のためのコスメ商品やコンドームなどを扱う会社をつくろうと計画していたのだ。
「ある50代の実業家の男性がいて、その人が出資してくれることになっていたんです。彼女はこの男性と共同で会社を経営しようと思っていた。一説には、この男性から借金をしており、そのために一緒に事業をやることになったという話もあります。またこの男性とは男女の関係にあったという噂もありました」
と語るのは、ある芸能関係者。しかしこの事業は彼女の死の直前、なんらかの理由で滞ってしまう。それが彼女自身の理由によるものなのか、また彼女の死になんらかの形で関係していたのかどうかは「わからない」(芸能関係者)という。
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