「平成CM」振り返り――“武富士”が宴会芸になったあの頃(中川淳一郎)

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「平成最後」ブームが相変わらず続いているので「平成のCM」について振り返ります。いい加減「男は黙ってサッポロビール」「トリスを飲んでHawaiiへ行こう」「おいしい生活。」とか昭和の名CMを懐かしがっていても仕方がない。平成も色々インパクト強いのありましたぜ!

 CMとは、自動車や食品、化粧品等のド定番を除き、その時々に隆盛な業種が出稿するものです。最近ではスマホゲームとかスマホアプリのCMをよく見かけますが、それだけ儲かっているのでしょう。

 平成のCMといえばなんといっても消費者金融です。それまでは「サラ金」と呼ばれ、悪徳業者イメージがありましたが、バブル崩壊とともに日々のカネに困る消費者が増える中、CMを出せる余裕のある企業が減り、そこに颯爽と現れました。

 その中でも強烈なインパクトを残したのが、レオタードなどに身を包んだ大勢の女性が軽快な音楽とともにキレッキレのダンスをする「武富士」でしょう。1990年代半ばの宴会芸でよく使われたものです。この歌は英語の歌詞なのですが、翻訳すると「1+1=2」とか「そんなにいけずな対応しないでくれよ」みたいな言葉が並びます。

 あとは「ほのぼのレイク」のCMでジーコが「ジーコ、ジーコ、ジーコ」と同商品のキャラクターのネジを巻いたり、「むじんくん」が登場し、「ラララむじんくん」と歌いながら合コン前にアコムでお金をおろしたりするのです。サッカー日本代表が初めてW杯進出を決めた「ジョホールバルの歓喜」の「野人」こと岡野雅行選手をモチーフとした「野獣」が登場する微妙に時事ネタを絡めたバージョンもありました。

 そして、なんといっても宝石販売の「銀座じゅわいよ・くちゅーるマキ」です。そのCMから相川七瀬ら、次々とヒット曲が生まれていった。私が97年に博報堂に入った時、同期にあの会社の社長の息子がいて「おぉ! お前、あのCMの会社の御曹司だったのかよ!」なんて驚いた思い出もあります。

 音楽とCMでいえば、JR東海の「クリスマス・エクスプレス」が有名なところですが、「JR ski ski」では「ZOO」が登場し「Choo Choo TRAIN」とともに踊りまくる。今考えれば雪が降りしきるゲレンデで松明を持って大勢が踊るなんて、危険極まりない行為なのですが、これが当時はトレンディーだったのです。JRのスキーCMでいえば、globeの「DEPARTURES」に乗せ、竹野内豊と江角マキコが恋人役を演じるものもありましたね。

 2010年頃までは、テレビCMこそ企業の販促活動の王道、みたいな扱いでした。しかし今は広告代理店の競合プレゼンに参加したりすると「ネットメインで、テレビCMをやるかどうかは企画全体を見た上での判断になる」といった形になることも増えています。

 ちなみに消費者金融、今ではメガバンク系のCMを見ることはありますが、圧倒的に少なくなりましたね。2000年代前半、いわゆる「一流企業」の皆様は「消費者金融の前後に我が社のCMを流さないでくれ! 我が社のイメージが落ちる!」とかゴーマンな要求をしていたと事情通から聞いたことがあります。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。

まんきつ
1975(昭和50)年埼玉県生まれ。日本大学藝術学部卒。ブログ「まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど」で注目を浴び、漫画家、イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)『ハルモヤさん』(新潮社)など。

週刊新潮 2019年4月25日号掲載

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