ペルーの代名詞「ピスコ」で味わう「日本人移住120周年」
日系人の多い国といえばブラジルだが、日本人が南米で最初に移住したのは、意外にもお隣のペルーである。
1899(明治32)年2月28日、790名の日本人が日本郵船の「佐倉丸」に乗って横浜を出帆。太平洋を8600海里横断し、4月3日にクスコ郊外のカジャオ港に到着した。
ちょうど120周年に当たる今年は、日本とペルーが両国の交流年と位置づけていることもあり、官民レベルでさまざまなイベントや企画が行われている。
4月14日には「日本ピスコ協会」という一般社団法人の設立記念パーティーが開かれた。ピスコはペルーを代表するブドウの蒸留酒で、フランス・シャンパーニュ地方のシャンパンのように、特定の地域でしかつくられない。16世紀前半にスペイン人がブドウを持ち込み、ワインに続いてピスコの製造が始まった。歴史深いお酒である。
「欧米では人気が高まってきていて、ある程度のバーに行けば、ピスコを使ったカクテル“ピスコサワー”を飲めますが、日本ではまだまだ知られていませんし、ピスコサワーを出しているお店でも、隣国チリの同名のお酒を使っているのが現状です。そうした状況を何とかしたいと自然に集まった有志で、ピスコ協会が設立されました」
挨拶に立った代表の仲村渠夏江(なかんだかり・なつえ)さんは、日系3世。小学生の頃に来日し、現在は原宿のペルー料理レストラン「bepocah」(べポカ)のバーテンダー兼ソムリエをしている。
「ピスコには“ロマン”という言葉がピッタリです。なぜかというと、南米だけでなくアメリカ大陸におけるブドウの栽培とワインの製造は、すべてペルーから始まりました。原産地呼称で、本当に厳しいルールの下でつくられたものだけがピスコを名乗れます。その歴史やこだわりに、ロマンを感じるわけです。ロマン溢れるピスコを、日本中に広めたいという思いです」
協会の発足メンバーには、仲村渠さんの夫で「bepocah」のオーナーシェフ・仲村渠ブルーノさん、共同オーナーの西村春子さん、「bepocah」のシェフ・川崎ハルオさんの他、企業でピスコなどの貿易に携わった後、自身で「CP JAPAN TRADING」(埼玉県さいたま市)という貿易会社を立ち上げた浜元リカルドさん、ペルー料理店「El Cebichero」(エル・セビチェロ、東京・祐天寺)のオーナーシェフ・谷口大明さんが名を連ねた。西村さんと谷口さん以外は、日系ペルー人だ。
120年の時を経て、日本からペルーに渡った人たちの子孫が、“故郷”の日本で活躍しているのである。
「レモン」ではなく「リモン」
駐日ペルー大使館商務部のルイス・エルゲロ参事官の乾杯で、パーティーが始まった。
もちろん乾杯ドリンクは、ピスコサワー。ピスコに卵白やシロップを加えてシェイクするのだが、肝心なのは「リモン」。レモンではない。
西村春子さんが言う。
「ペルーのリモンをレモンと勘違いしてレモンでピスコサワーをつくる方がいるのですが、それでは本場の味は出せません。日本で手に入るものでリモンに1番近いのは、ライムよりも小さいメキシコ産のキーライム。ただ、これを使うと原価が跳ね上がってしまうので、本日はメキシコ産ライムでおつくりしました」
一口飲むと、ヨーグルトのようなさっぱりとした味わい。とても飲みやすいが、決して“弱いお酒”ではない。
「ピスコはアルコール度数38~44度と決められています」
とは、先の仲村渠夏江さん。
「先ほどピスコには厳格なルールがあるとお話ししましたが、まず地域がリマやアレキパ、イカなどの5県に限られています。品種も8つに指定されており、蒸留は1回しかできません。1回でアルコール度数を38~44度に上げなくてはいけないのですが、アルコール度数を上げるために糖分や水を添加することは禁止されている。ブドウ100%の蒸留酒なので、それぞれのブドウの香りが色濃く反映されます」
ペルーで生まれた「ピスコの女王」
会場には、さまざまなメーカーのピスコが並んでいた。
向かって左の「ポルトン」は1684年に設立された北南米最古の蒸留所で、これまでに数々の賞を受賞してきた「王道」だ。
一方、三角錐型のボトルの「ヴィーニャス・デ・オロ」は1983年創業の比較的新しい蒸留所。最先端の設備と技術がウリだという。
ピスコの輸入を手掛ける「モストヴェルデトーキョー」の金井賢一郎さんによれば、
「8品種の中でも、『ピスコの女王』と呼ばれるのが『ケブランタ』。『ネグラクリオージャ』がペルーで独自に進化して生まれた、世界でペルーにしかないブドウ品種です。品種によって変わる香りや味わいを楽しめるのも、ピスコの魅力の1つでしょう」
8品種は、香りが豊かな「芳香性」の4品種と、香りを抑えた「非芳香性」の4品種に大別されるというが、試飲してみると香りが全く違う。「ケブランタ」は非芳香性の代表品種で、香りは控えめだが、口の中で広がる深みと甘みが特徴である。
ペルーは近年、「美食大国」としても世界中の注目を集めている。料理業界のアカデミー賞と言われる「ワールドトラベルアワード」の「世界で最も美食を楽しめる国」部門でも、2012年から7年連続で最優秀賞を受賞してきた。
名物は何と言っても「セビーチェ」。タコやイカなどの生の魚介類に野菜や香辛料を加えて和えるマリネで、ピスコとの相性も抜群。日本にもペルー料理とピスコブームがやってきそうだ。
「思い出深いナスカの味」
パーティーには、大のピスコサワー好きという司会者・エッセイストの楠田枝里子さんが、特別ゲストとして登場した。
1985年に初めてナスカを訪れた楠田さんは、地上絵の保護活動に生涯を捧げたドイツ人女性研究者のマリア・ライへさんに心を打たれ、毎年のように現地を訪問。1990年に『ナスカ 砂の王国:地上絵の謎を追ったマリア・ライへの生涯』(文藝春秋)を上梓し、1995年には「日本マリア・ライへ基金」を設立して支援してきた。基金は一昨年、22年間に及ぶ活動を終えたが、その後も個人的にはナスカに関する活動を続けているという。
「ピスコサワーは思い出深いナスカの味」
と、楠田さん。
「マリアさんは夕暮れ時、世界中から集まってきた旅行者や研究者のために、『ホテル・ツーリスタ』(現ホテル・ナスカ・ラインズ)の庭に椅子を出し、レクチャーをしていました。妹のレナーテさんが代わりにレクチャーすることがあったのですが、彼女は専門家ではないので、いつも緊張していた。それでレクチャーの前にホテルのバーに行き、ピスコサワーを1杯飲んでいたのです。私もお付き合いをして、2人で“頑張ろう!”と乾杯したものです。その時マヌエルというバーテンダーにつくってもらったのが、世界一美味しいピスコサワーです」
ナスカには今年、日本とペルーの新しい“友好の象徴”が誕生した。
マリアさんのつくった展望台(ミラドール)の老朽化が進んでいたため、「2019年日本ペルー友好年(移民120周年記念)事業実行委員会」がプロジェクトを立ち上げ、ペルー文化庁や駐日ペルー大使館、日本ペルー協会などの協力を得ながら、新しいミラドールを建設。今年3月に駐日ペルー大使館で寄贈式が開かれた。今夏にも一般公開されるという。
先の西村さんが言う。
「今年は日本人がペルーに移住して120周年という節目ですが、これだけ長い間交流が続いていても、意外と日本の方々にペルーのことが知られていません。アンデスやマチュピチュなどにペルーのイメージが偏ってしまっているので、ピスコに特化しつつも、なるべくペルーの多面的な部分を紹介したいと思っています」
ペルーの多面性を象徴するかのような華麗なピスコの夜だった。