新元号の発表という「国民的瞬間」の演出法(古市憲寿)

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 4月1日に新元号が「令和」となることが発表された。面白かったのは、事前の徹底した秘密主義である。

 世の中への発表よりも先に新元号(候補)を知ることになる有識者や閣僚は、会議の前に携帯電話が取り上げられた。FNNによれば、首相官邸では物理的に外部との通信を遮断するジャミング(通信妨害)まで実施されていたという。

 不満を漏らす政治家もいたようだ。それはそうだろう。日本国を代表する政治家や有識者の集められた会議で、明らかに「あなたのことを信頼していません」という扱いをされるのだから。

 しかし結果的に、厳戒態勢は正解だった。なぜなら本来は公表されるべきではない会議の内容が一瞬で漏れたから。

 新元号の候補には「令和」以外に「英弘(えいこう)」「久化(きゅうか)」「広至(こうし)」「万和(ばんな)」「万保(ばんぽう)」が挙がっていたこと、有識者会議では9人のうち7人が「令和」推しだったこと、「令和」の考案者は中西進さんだということを複数の報道機関が伝えている。ちなみに他の案の発案者も取材を受けたりしている(誉れなことだから生きているうちに自慢しておきたいのだろうか)。

 もしも会議に携帯電話の持ち込みを許可していたら、新元号がリークされていてもおかしくなかったと思う。しかし、たった数十分、もしかしたら数時間早く新元号が漏れても何の影響もないように思える。なぜ官邸はここまで秘密主義を徹底したのだろうか。

 それは「国民的瞬間」を作り出したかったからだと思う。現代の日本列島を生きる人々が一体感を抱く機会というのは非常に少ない。

 外国と戦争をしているわけでもないので、全国民が関心のある出来事なんてほとんどない。NHK紅白歌合戦や、サッカーのワールドカップでさえ、全員が熱狂するコンテンツではない。

 しかし新元号は違った。様々なメディアでは改元に関する特集が組まれ、「平成最後」という言葉が列島中で躍っていた。元号制のない国の人からすれば奇異にも見える光景だろう。「ただ元号が変わるだけで何が起こるんですか」と聞かれても、論理的に回答するのは難しい。

 強いて言えば「空気」が変わる。そして散漫に新元号が伝わるよりも、同じ瞬間を「日本中」に知らしめたほうが、その効果は高まる。だから新元号は漏れてはいけなかった。

 実際、「日本中」がお祭り騒ぎになっていたように思う。僕の知人で、天皇制に反対する学者は、4月1日は一切のニュースを見ないようにしていたという。しかしその行為自体、すっかり改元のお祭りに巻き込まれてしまっている。あの日、全く新元号に関する会話をしなかった人はどれだけいただろう。もしくは未だに新元号を知らない人はどれだけいるだろう。

 今回の新元号発表で生まれた「国民的瞬間」では、久しぶりに「日本」という国が立ち現れた。結果、他のニュースが些末に感じられてしまった。味を占めた政治家が増税の年ごとに改元を画策しないか心配である。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2019年4月25日号掲載

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