上野千鶴子の東大「性差別」祝辞を元東大総長らはどう聞いたのか

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偏り過ぎ

 一方、小宮山元総長と同じく東大総長経験者でも、まったく別の意見をお持ちの方もいる。

 小宮山元総長の3代前の吉川弘之元総長の話。

「大学受験というのは、本来、一人でがんばってきた人の方が多いはずです。でも、上野さんは、がんばったら報われると思えるのは環境に恵まれているおかげだと主張しています。この論理だと、東大に入れなかった人たちは、“周囲に恵まれていなかったからダメだったんだ”と考えるようになってしまいます。上野さんは、東大受験に努力する人たちに対して悪いメッセージを与えたことにならないでしょうか」

 また、評論家の呉智英氏は、

「上野さんが祝辞で述べたことは、エリートにおいての小さな格差でしかありません。Cランク以下の大多数の学生からしてみれば、男女格差の前に学歴格差が立ちはだかっているわけです。ですから、東大生以外の人間には、所詮、エリートの世界での話で、現実的ではない建前論にしか聞こえないのではないか」

 最後に、差別を受ける立場とされる女性の側から話を聞いてみよう。

「渡る世間は鬼ばかり」などの脚本家、橋田壽賀子さんは次のような意見である。

「私、その祝辞を聞いて、ちょっと偏り過ぎていると思うし、女性をバカにしているとも思いました。ちゃんと妻の務めも果たし、仕事をしている人もいる。そんな心配してもらわなくても大丈夫です。そもそも、私は女性が社会に出て働くことが必ずしも良いことだとは考えていないの。家庭で亭主や子供の面倒も見られない人が外に出て働いて、社会のためになりますか」

 男性と女性は根本的に違い、男性には男性の、女性には女性の生き方があるという。

「やはり、結婚をしたら家庭を優先するのが、女性の運命です。もちろん、平等であることは大事よ。でも、男と女は生き方が違うから、価値観も違うわけです。それを一括りにして、“男女差別に苦しみながら、これからやっていきなさい”と言う上野さんの気持ちが本当にわからないのよね」(同)

 かつて、かのマザー・テレサは、

〈なぜ、男性と女性がまったく同じであると考え、男女の素晴らしい違いを否定する人たちがいるのか理解できません〉

 との言葉を残した。

 男性と女性との間に違いがあるのは紛れもない事実。

 それを踏まえたうえで、この祝辞をどう受け止めるべきなのだろうか。

週刊新潮 2019年4月25日号掲載

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