トンデモ韓国人に軍艦島の元住民が激怒、日本への憎悪を煽る荒唐無稽な言動とは
自称「軍艦島の元島民」がでっちあげた「徴用工の奴隷労働」――加藤康子
韓国の「徴用工訴訟」が止まらない。今月、日本製鉄、三菱重工などへの新たな集団訴訟が提起され、その標的となった企業も増えた。“元徴用工”たちは、過酷な生活を強いられたと言う。だがそれは本当なのか。「軍艦島」ではこんなデタラメな証言がまき散らされていた。
(現在、産業遺産国民会議のサイト「軍艦島の真実」にて、元島民の方々の証言を収めた動画「グ・ヨンチョルとは何者なのか」が公開中。 http://u0u1.net/SekL こちらも併せてご覧ください)
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韓国・釜山の日本総領事館前にいわゆる徴用工像を設置しようとしていた全国民主労働組合総連盟(民主労総)の、2017年8月大会の動画をYouTubeで見ていたときのことである。労働運動の闘士らしき人物がひとりの老人を紹介した。
「強制連行された軍艦島で過酷な生活を送ったお父様と、同じく過酷な暮らしをされた方がこの場におられます」
そぼ降る雨の中、水色のレインコートを着た老人が登壇した。埋め尽くす観衆は一千人はいるだろうか、熱気が溢れている。老人は、大きな声でゆっくりと語りかけた。
「ご紹介にあずかりました具然喆(グ・ヨンチョル)です。軍艦島で六年暮らし、わたしが体験した事実を証言するために朝早く釜山を発ち、87歳の老骨に鞭打ちやってきました」
降り注ぐ雨をものともせずに、老人は訴えた。
「わたしが見た軍艦島は、わが民族の最も痛々しい記憶の場所だと思います」
演説は次第に熱を帯びてきた。ピンク色のカッパを着て傘をさしかけた女性は、心なしか目を潤ませているようだった。
端島(はしま)は、長崎港の沖合約17・5㎞にある西彼杵(そのぎ)海洋炭田を鉱床とする炭鉱の島で、そのシルエットが戦艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれている。1890年以降、端島を経営した三菱は、ボタ(捨石)で周囲を埋め立てて島を拡張し、日本で最初の鉄筋コンクリートの高層住宅群を建設した。戦後、端島はわが国の経済復興を支え、最盛期には世界で最も人口過密な炭鉱コミュニティーだった。その後、石炭から石油にエネルギー転換が進んだことにより、1974年1月に閉山に追い込まれ、廃墟となった現在は長崎市が管理している。
2015年7月、端島は「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つとして、世界遺産に登録された。一方、2017年7月には韓国で「軍艦島」の題名で映画化、戦時中、過酷な労働があった島として紹介されている。そして文在寅大統領が「端島生存者」を光復節記念式典に招待すると、「民族の痛々しい記憶の場所」として脚光を浴びた。映画の封切りを前にして、誠信女子大学校の徐敬徳(ソ・ギョンドク)客員教授は、ニューヨークのタイムズスクエアで端島の非道ぶりを訴える広告映像を発信した。広告に登場した寝掘りの炭鉱夫は、実際には昭和30年代の後半に日本人カメラマンにより筑豊で撮影された写真で、朝鮮人徴用工の写真ではなかったが、この写真が端島のイメージとして世界に拡散されていった。
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