謝る余裕をもとうよ!(石田純一)
石田純一の「これだけ言わせて!」 第29回
なにがあっても謝らない、というのも一つのスタンスかもしれないが、やはり、折れる時は折れるといった臨機応変さがあってもいいのではないだろうか。たとえば妻の理子は、僕と結婚してから今にいたるまで、僕の記憶するかぎりでは、一回も謝ったことがない。わが家の“一強”である。
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先日、映画「ファースト・マン」のパンフレットを息子の理汰郎に見せたくて、前日の夜からテーブルの上に置いておいた。朝見たときはテーブルの上にあった。ところが、昼になると見当たらない。探してもどこにもない。そうしたら、生ゴミと一緒にゴミ箱のなかに捨てられているではないか。慌てて拾い出したが、もう生ゴミの汁が染みて、残念なことになっていた。
黙って捨てられたのだから、僕にも怒る権利くらいあるだろう。でも、理汰郎は僕に「ママのこと、怒んないでね! ママのこと、好きだから!」と言うのだ。かわいいけど、そうは言われても、さすがに僕にも言わなければならないことはある。だから「“理子! もしよかったら、テーブルの上に置いてあるものは一応、俺に確認して”って言うだけだよ」と伝えると、「だったら、いいよ」と理汰郎。
さて、理汰郎に約束した通りに理子に伝えようとすると、こちらが切り出す前に「なんか私に言いたいこと、あるんだって?」と逆に凄まれる始末。気をとり直して「言いたいことなんて滅相もない。でも、ちょっと、捨てる前に俺に確認するとか……。何日も置いてあったなら仕方ないよ、でも、置いておいたのは1日だし」とお願いしたのだが、「あなたは、机の上の書類とかいつもずっと片づけなくて」と、逆に20分くらい怒られてしまった。トホホ……。
“一強”といっても、比べるのは大変失礼かもしれないが、首相官邸にも謝らない人がいるようだ。菅義偉官房長官だ。
先日、新元号「令和」の発表で名を挙げた菅さんだが、3月には記者の質問を制限しようとしていたことが話題になった。東京新聞の女性記者の質問が「事実誤認」で「問題行為」だと、首相官邸から記者クラブに対して文書を出したのだ。
この記者は以前から、政府に対して批判的でな質問を続けてきたから、菅さんの気持ちもわからないではない。しかし、さすがに質問を制限したら、政府に批判的な記者は締め出すということにつながってしまう。しかも、僕が一番怖いと思ったのは、官邸が記者クラブに「問題意識の共有」までも求めたことだ。「事実誤認」があってはいけない、というのはわかる。しかし、官邸側と問題意識を共有していないと質問を受けつけない、というのは、記者会見自体が非常に怖いものになってしまわないか。
トランプ大統領がよく「君には答えたくない」と言っているが、要するに、同じことを菅さんも行っているわけだ。今の首相官邸はリンカーンもびっくりの「多数の、多数による多数のための政治」になっている。しかし、多数派なのだから、政権について批判されたくらいで発言を制限したりせず、もう少し余裕をもって、どっしりと構えてもらえないだろううか。政府寄りと見られている読売新聞も、一般論として、事実に基づかない質問をするのはおかしいというのはわかる、個別の記者の質問を制限するのはおかしい、という旨を述べている。
「士は過なきを貴しとせず、過を改むるを貴しと為す」という吉田松陰の言葉があるが、優秀な菅さんも、謝るくらい余裕があったほうが、国民の支持をより集めやすいと思うんだけどなぁ。