「男の子でも首相になれますか」(石田純一)
石田純一の「これだけ言わせて!」 第28回
この4月から、15人いる最高裁判事のうち女性は1人だけになってしまう。学者出身の岡部喜代子判事が退任する代わりに任命されたのは、東大大学院法学政治学研究科の宇賀克也教授だった。最高裁の女性判事は2013年に3人になったが、その後、さらに増えるかと思ったら、また1人に戻ってしまった。
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最高裁判事の任命は、最高裁長官の意見を聞いたうえで内閣で閣議決定する。だが、その候補者は、裁判官や弁護士、検察官など法曹関係者からは最高裁長官が選び、行政や外交をふくむ学識経験者からは、内閣官房で選ぶことになっている。だから学者出身の宇賀判事は、官房が選んだことになる。
現状、女性の学識経験者は絶対数が少ないから、適任者を選ぶ際に男性になってしまいやすい、という事情はわからないではない。それにしても、15人のうち女性が1人だけだというのは、男女雇用機会均等法の観点からも、少し首を傾げざるをえない。それに「すべての女性が輝く社会づくり」を標榜する安倍政権の選択がこれでいいのか、という思いも拭えない。
女性の観点というものもあると思うのだ。たとえば夫婦同姓規定、つまり、夫婦は石田太郎と石田理子というように同姓でなければいけないという規定について2015年に最高裁で争ったときは、当時3人いた女性判事は全員が反対した。人口の半分は女性なのだから、女性ならではの視点が少しは判決に反映されてもいいと思うのだが、その点、1人だけでは多勢に無勢で、「どう?」「そうよね!」という女性の意見が形成されにくいのではないかと心配になる。
六法全書を開くとたくさん判例が書かれているが、最高裁判事たちの判断は、こうして末代まで判例として残って後世の基準になっていく。それだけに、女性判事をもう少し増やすべき、と思う。
男女平等の度合いを示すジェンダーギャップ指数の高さは、残念ながら日本は149カ国中の110位と、ずいぶん下に位置している。原因だが、会議の出席者はみな男で女はお茶を運んでいるという、よくあるテレビドラマの場面が象徴するように、やっぱり日本は男社会という刷り込みが強いのだ。男性側の既得権益への意識も影響していると思う。
一方、国連では先日、中満泉さんが日本人女性初の国連事務次長に選ばれ、軍縮部門のトップに就いた。ちなみに、国連の幹部会議は、最近まで7:3で男性が多かったが、現在のアントニオ・グテーレス事務総長の就任後、2年余りで逆転し、いまでは6:4で女性が多くなっている。要は、やればできるのだ。
ドイツではこんな逸話も。メルケル首相の後任としてキリスト教民主同盟党首になったクランプ・カレンバウワーさんは、ミュンヘンで開催された安保会議で講演したあと、12歳の男の子から手紙を受け取った。そこには「男の子でも首相になれますか」と書かれていたという。たぶん彼は、物心がついた時から、ずっと女の首相を見てきたのだろう。ちょっとかわいい話でしょ?
理子を見ていると、仕事をして、家事をして、普通の育児をしたうえで、息子の受験の先生から運動のコーチまで務め、夜は幼い子たちを我慢づよく寝かせている。いやぁ、女性はすごいとつくづく思うし、彼女たちの意見が社会にもっと反映されたほうがいいのは当然だろう。
とはいえ、いまから100年前には、女性の参政権さえ考えられなかった。そう、世界は変わるのだ。