「ヒトラー」「蒋介石」権力者に共通する「正統性」への欲望

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 美術品は、移動する。それは、美術品が一部を除いて、土地や建物のような不動産ではなく、動産であるからだ。その特性は、美術品に多国籍性と、国際マーケットで活発に取引される財産の地位を付与し、多くの国をまたいで売買されたり、贈与されたりしている。ポケットやカバンに忍ばせた小型の作品が、密輸によって遠い距離を移動することもしばしば起きる。

 だが、美術品の移動にはもう1つの形態がある。略奪である。略奪美術品(文化財)の問題は、決して目新しい話ではない。いつの時代も美術品は略奪を繰り返されながら、その価値を高めていった。英国が誇る大英博物館に置かれている中東・アフリカ・アジアの膨大で貴重なコレクションには、広い意味で略奪美術品と言えるものが多数含まれている。

 大英博物館と並んで「泥棒美術館」との悪名をいただくフランスのルーブル美術館もまた、ナポレオン・ボナパルトがヨーロッパ征服のなかで略奪した品々を飾っている。ドイツ文学者の中野京子氏は、ナポレオンは「当然のように各地の城や邸宅から膨大な数の絵画や彫刻、発掘品や工芸品を強奪した」と言う。その結果、いまのルーブルの豊富なコレクションが生まれた。

美術品略奪と「正統性」

 まもなく日本で公開される映画『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』は、まさにこの略奪美術品をテーマにした野心的な作品だ。なぜ野心的かと言えば、ドキュメンタリー作品でありながら商業性を失わず、しかも、ナチスによるユダヤ人迫害というたいへん重く、同時に、手垢のついたテーマに挑んでいるからだ。

 ナチスは国内や征服した外国の富裕層ユダヤ人に目をつけ、彼らが保有する美術品や工芸品を狙った。無理やり奪ったケースもあるが、大掛かりなものはあくまでも「合法」の名の下に、自らの協力下にある美術商を通して「格安」で買い取った。ユダヤ人の国外退去を認める、という餌をちらつかせながらの半ば強制的な利益交換だった。

 その作業には、アドルフ・ヒトラーのみならず、ヒトラーの腹心中の腹心だったヘルマン・ゲーリングがのめり込み、ヒトラーと争いながら美術品を集めるようになった。

 この映画のタイトルは「ヒトラーVS.ピカソ」だが、「ヒトラーVS.ゲーリング」という角度からも楽しむことができるだろう。ほかにも、稀代の贋作家ハン・ファン・メーヘレンが、人気作家フェルメールの贋作をナチスにつかませるくだりは爽快だ。

 そんな秀逸なエピソードが満載のストーリーは映画館で楽しんでもらうとして、私がここで語りたいのは、指導者がどうして美術品を手元に置きたがるのか、という問題だ。

 それは、正統性(レジティマシー)をいかに指導者が欲するのか、という政治行為の根本に関わってくる。「正統性」はわかりやすく「権威」と言い換えてもいい。

「もう1つの故宮」を建造した蒋介石

 私がかつて著書『ふたつの故宮博物院』(新潮社)で指摘したように、前の政治権力を力で覆すような成功を収めた指導者が、その次に欲するものは正統性である。

 恐怖政治で無理やり正統性を確立しようとする者もいるが、芸術の保護者になることで権威を手にしようとする者もいる。文化は正統性の証明にされやすい。そして、文化はコレクション(収集品)によって象徴される。コレクションは一代では完成しない。そこには世代を超えた蓄積があり、正統性の源泉になる。権力者は一夜にしてそのコレクションを手中に収め、自らの権威を確立しようとするのだ。

 その行動様式を堅実に実行へ移したのがヒトラーであり、ほぼ同時代を生きた近代中国の指導者、蒋介石だった。

 国共内戦で毛沢東の共産党に敗れた蒋介石は、再起を期すために台湾に渡った。その際、紫禁城から南京に戦火を逃れて移されていた66万点の故宮文物を、大型貨物船で台湾に運び込んだのである。その後、北京とは異なるもう1つの故宮博物院を建造し、文物を収蔵した。

 共産党はこの故宮があるおかげで台湾に爆弾を落とせない、とまことしやかに語られた時期もあったが、爆撃云々よりも蒋介石にとって重要だったのは、中華文明の精髄を集めた故宮コレクションが、共産党ではなく国民党の手の中にある、という事実であった。

 それによって自身こそが「中国国家」の継承者であるという正統性を、中国人民や国際社会に向けてアピールしようとしたのだった。つまり台北の故宮は、もともと大陸反攻のためのプロパガンダ機関だったのだ。

ピカソの位置付けは特別

 本作で明らかにされるヒトラーの美術品略奪の目的も、正統性の確立にあった。ヒトラーにとって重要だったのは、ナチスがヨーロッパ世界の支配者であることをいかに証明するか、ということだった。そのため彼は、自らの故郷であるオーストリアのリンツに、ナチスを象徴する美術館を作ろうとしていた。あたかも蒋介石の故宮博物院のように。

 ヒトラーは「大ドイツ芸術展」に「良い芸術」を集めて賞賛し、一方で、「退廃芸術展」で「良くない芸術」を晒し者にした。元画家志望の男は、才能が認められなかった怨念を、芸術の頂点に自らが君臨することによって晴らそうとしたのであろう。

 蒋介石が大陸反攻の目的を達せずに世を去り、故宮文物は台湾にとどまった。だが今日、故宮は台湾きっての観光名所となり、多額の富を台湾にもたらしている。ヒトラーの野望が破滅したのと違って、蒋介石の率いた中華民国は、大陸からの統一圧力にさらされながらも、いまも存続している。

 こうした見方も踏まえて鑑賞すれば、映画の面白さをより感じてもらえるに違いない。

 本作は、誰もが名前を知っているヨーロッパの著名画家がどんどん出てくるところも楽しい。クラナッハ、フェルメール、ブリューゲル、ファン・エイク兄弟……。西洋美術史の勉強にもなる作品である。なかでも、不世出の画家、ピカソの位置付けは特別なものがあり、本作のタイトルにもなっている。その理由は、この傑作を最後まで見た人だけが知ることができるはずだ。

『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』は4月19日からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館などで全国順次公開。公式HPはhttp://hitlervspicasso-movie.com/

 

野嶋剛
1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、「台湾とは何か」(ちくま新書)。訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。最新刊は「タイワニーズ 故郷喪失者の物語」(小学館)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com。

Foresight 2019年4月15日掲載

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