人工透析中止 渦中の「福生病院」院長が語った『高瀬舟』

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 3月28日、「春の嵐」が吹き荒れた――。渦中の公立福生(ふっさ)病院(東京都)の担当医と松山健(たけし)院長(65)が、騒動後、初めてメディア各社の取材に対応。注目の席で飛び出したのは、院長の「論争上等」の発言だった。

「福生事件」。それは、3月7日付の毎日新聞の報道で表面化した。

 福生病院に入院した44歳の腎臓病患者が、昨年8月、人工透析を止めて1週間後に亡くなっていたことが発覚。透析患者にとって、その中断は事実上の死を意味する。件(くだん)の患者は、透析に伴う苦痛などの「副作用」を嫌がって中断を選択したものの、後(のち)に中断自体がもたらす呼吸苦などに襲われ、やはり透析を再開してほしいと意思表示した瞬間もあったという。だが、結局再開されることはなかった。

 これは「尊厳死」なのか、それとも病院側に瑕疵(かし)がある「殺人的行為」なのか――。日本透析医学会が調査に乗り出す事態に発展し、誰もが「答え」を見出せないなか、病院側が報道陣に向けて説明の場を設けたのである。まずは担当医が、

「医療者として、患者に死んでほしいとは普通思わない」

 と、自分は「殺人医師」などではなく、透析を再開しなかった手続きは正当であったと主張。それは松山院長も同様だった。そしてその松山院長が、「個別」の福生事件の是非だけではなく、「一般論」としての尊厳死を、もっと広く議論すべきではないかという趣旨で発したのが次の言葉だ。

「『高瀬舟』の話が報じられていた。皆が護送する同心(江戸時代の役人)の立場に身を置いてみるべきだと。しかし、私はそれでもまだ甘く、もう一歩踏み込むべきだと思う。同心ではなく、剃刀を抜いた兄の立場で考えてみるべきだと」

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