元「双羽黒」北尾さん逝去 一人娘が振り返る“空白の15年”

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5年前から入院

 北尾氏の一人娘が述懐する。

「私が物心ついたころには、父はもちろん相撲も格闘技もやっていませんでした。家でも、その当時の話はほとんどしなかった。ですから、ほかのお父さんと違うところは、背が高くて、多趣味であることくらいにしか思っていませんでした。パソコン関係の仕事をしていて、それで稼いでいたみたいです。また、ナイフや刀、エアガンの収集も趣味で、『ナイフマガジン』に記事を寄稿することもありました」

 だんだんと、北尾氏の体を蝕んでいったのは、糖尿病だった。

「元気なときは旅行に連れて行ってくれたり、一緒にゲームで遊んだりしていましたけど、私が中学のころから具合が悪くなり、高校1年生くらいには、父は寝たきりに近い状態になりました。トイレにも一人では行けなくなり、母や私が介添えをした。6年ほど前には両足首に褥瘡(じょくそう)ができて、より歩行困難に。一時は、両足の切断を医師に勧められるほどでした」(同)

 加えて、腎機能も低下し、その治療も行わなければならなくなったという。

「この5年間ほどは、千葉県内の病院にずっと入院していました。昨秋からは人工透析を始めるようにもなった。最近は、目もあまり見えなくなって、意識も朦朧とした状態でした。私がお見舞いに行くと、“誰? どこ?”といった感じで、私のことさえわからなくなってしまって……」(同)

 それ以降、北尾氏は二度と娘を認識することがなかったという。

「世間では破天荒だとか怖いイメージがあるかと思いますが、本当に優しい父でした。入学式や卒業式などでも、“娘がからかわれるかもしれないから”と、一度も顔を見せたことはありませんでした。幼いときにはリカちゃん人形をくれたり、私を女の子らしく育てようとしてくれていた。父の娘でも、“顔にケガをしたら大変だから”と、格闘技系の習い事をしたことはありません。父とはもっと遊びたかったし、一緒にお酒も飲んでみたかった。心残りばかりです」(同)

 夫人と娘だけで家族葬を執り行い、北尾氏は荼毘に付されたという。

 晩年は病に苦しんだ波瀾万丈の人生だったが、美貌の一人娘を残せたことで、棺を蓋(おお)いて事定まったということではないだろうか。

週刊新潮 2019年4月11日号掲載

ワイド特集「願わくは花の下にて」より

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