巨人、「沢村劇場」から「クック劇場」の開演はゴメンだが…【柴田勲のセブンアイズ】

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 巨人が開幕9試合を終えて6勝3敗、まずまずのスタートで首位に立った。それでも振り返ってみると、本当に頼りになる先発投手は菅野智之、山口俊、クリストファー・メルセデスの3人くらいなものだろう。勝ち星を挙げたテイラー・ヤングマンはまだ2年目だし、高橋優貴もルーキーでまだまだ未知数だ。

 先発要員が思ったほどではない。

 その意味で6日のDeNA戦に先発した沢村拓一に注目した。ご存じのように抑えから5年ぶりの先発転向だ。本人は今季も抑えを希望していたようだが、結果が出せずに原辰徳監督から直接、先発の打診を受けて決まった。

 昨季は肩の故障から復帰して中継ぎ登板をメーンにしたが、夏場以降は安定しなかった。原監督にすれば、原点に戻ってチャンスを与えたということだ。

 その結果はというと、ガッカリだった。セーブ王にも輝いたことがあるが、その一方で走者を出しながら抑えるマウンドが多く、ここぞの勝負所では脆い面を見せつけた。相手ベンチよりも、巨人ベンチが「怖い」となって、ファンの間ではハラハラドキドキの「沢村劇場」と呼ばれていたと聞く。

 原因の制球難は治っていなかった。この試合、三回まではスムーズだった。150キロ台の真っ直ぐが決まり、投球テンポもよかった。本来、球威はある。「オッ、いいぞ」と思ったが、次には「アレッ」となった。

 50球を超えた四回、筒香嘉智を迎えると3球で追い込みながら3球続けてボール球を投げて四球。続く宮崎敏郎にも四球を与えた。宮崎はよく分かっている。ただの一度もバットを振らなかった。で、ホセ・ロペスに同点の二塁打を浴びてマウンドを降りた。

 普通の投手なら捕手が構えたミット周辺に6~7割は行く。野手が投げても5割くらいはある。これが菅野となると8割は堅い。しかし、沢村は肝心なシーンを迎えたり、球数がある程度超えると3割になってしまう。これは投手としては恥だ。

 技術的な部分とともに、性格的な面もあるのか。ただ150キロを超える真っ直ぐはある。なにはなくても制球力だ。スライダー、フォークといった変化球の精度を上げて、まずはストライク先行の投球を心がける。打たれても野手の正面を突くことだってある。1人相撲を取らずに「後は8人の野手に任せる」くらいの気持ちで試合に臨むことが必要だ。

 沢村、ファームでの再調整が決まった、原監督はチャンスを与えるつもりだ。次は「ニュー沢村」が見たいところだ。

 さて、今季の巨人の「守護神」ライアン・クック(※)だが、まだまだ未知数だ。先日、原監督に聞いたら、「中継ぎ陣をどうするかしっかりとは決まっていないし、調子を見ながら使っていきたい。(抑えは)いまのところクックと思っています」と話していた。

 〝いまのところ〟は頭の中に感染症に罹患して大きく出遅れているスコット・マシソンのこともあるのだろう。原監督の言う抑え・クックは8日現在、3セーブを挙げている。

 3月30日の広島戦で初S、翌31日の同カードで2S。だが、ともに3点差からの登板だった。元々、走者を背負ってからの投球に課題が指摘されている。けん制やクイックもどうやら得意ではなさそうだ。原監督は30日の試合で九回無死一、二塁から坂本勇人に送りバントを命じて、しゃにむに1点を取りにいった。これは来日初登板となるクックへの配慮だ。得点は多ければ多いほどいいが、逆に言えば原監督、心配だったとも取れる。

 4月3日の阪神戦でもやはり3点差からの登板だった。いきなり先頭の福留孝介に二塁打されて、上本博紀に四球で無死一、二塁。糸原健斗の遊ゴロ併殺打、中谷将大を三振に仕留めて切り抜けたが、あそこは阪神にじっくりと攻められたら、どう転んでもおかしくなかった。

 3試合、1、2点差での登板がない。今後、特に1点差の厳しい状況でマウンドに上がった時、どんな投球をするかだ。状況や点差で投球は変わってくる。沢村よりは制球力がいいようだが、本当に「真の守護神」と言えるのか。正直、フタをあけて見ないと分からない。今度は「クック劇場」の開演なんてことにならないよう祈るばかりだ。

 巨人は昨季、救援陣だけで20敗を喫した。これが球団ワーストタイとなる4年連続V逸の大きな原因となった。原監督は大江竜聖、宮国椋丞、中川皓太、桜井俊貴、戸根千明、吉川光夫といった救援陣を起用して、いわゆる「勝利の方程式」を作ろうとしているようだが、いまはやり繰りが先に立つ。当分は無理だろう。ちなみに私は救援陣では吉川光がカギを握るような気がする。さらには先発陣起用の見極めもある。

 いまは打線が大量点を取って逃げ切るパターンとなっている。今後、投手陣をどう構築していくのか。注目して見ていきたい。

(※)前マリナーズ所属。メジャー通算236試合に登板。15勝13敗17セーブ58ホールド、防御率3・58。12、13年には71試合に登板したが、その後は不調や肩の故障もあって苦しんでいた。だが昨季は3年ぶりにメジャー復帰、マリナーズで19試合に登板して2勝1敗0セーブ、防御率5・29だった。一時期はメジャーのトップクラスのリリーバーだった。

柴田勲(しばた・いさお)
1944年、2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会副理事長、14年から巨人OB会会長を務める。

週刊新潮WEB取材班

2019年4月9日掲載

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