「しつけを法規制」の是非――“愛の鞭”か“暴力”か、綺麗ごとで済まない子育て
子どもと一緒に成長する
家庭内の体罰と聞いて、評論家の徳岡孝夫氏はある記憶を思い起こしたという。
「幼い孫娘を伴って公園を訪れた時のことです。私が目を離したすきに、孫娘が滑り台の手すりの部分に跨って、いまにも落っこちそうになっていた。すぐに駆けつけた私は孫娘を叱りつけ、咄嗟にお尻を2回ほど叩きました。彼女は驚いてワンワン泣いていました。私が孫娘に手をあげたのは後にも先にもその一度きりです。この行為が体罰と言われても、私は後悔していません。幼い子どもが命にかかわるような危険な行為を仕出かした時に、毅然とした態度でお尻を叩くのは、むしろ家族の務めではないか。幼い頃に示しをつけておかないと大人になって困るだろう、そうした親心に裏づけられたゲンコツだってあるのです」
これに首肯するのは脚本家の橋田壽賀子氏である。
「女学校時代に、制服のプリーツを増やすことが流行ったんですね。ただ、朝鮮で仕事をしていた父親が久々に帰国した際、何も言わずに制服の上着をビリッと破いた。父が本気で怒っていると感じて、すぐにプリーツを元に戻しました。また、授業中に娯楽雑誌の『キング』を読んでいたのを先生に見つかり、母が呼び出されて注意されたことも。母は私を家の柱に括りつけてね。もう謝るしかなかった。父母の行いはしつけのための体罰だったと思います。子どものうちは言って聞かせるだけではなかなか響かない。親に行動で示されて初めてハッとする場合もあると思います」
政府は今後、法改正で禁じる体罰の範囲を検討する予定だ。そこで参考とされるのが、文部科学省が定めた通知である。そこには体罰に該当する参考事例として〈立ち歩きの多い生徒を叱ったが聞かず、席につかないため、頬をつねって席につかせる〉などが挙げられる。仮に、家庭でも〈頬をつねっ〉たくらいのことで体罰の誹りを受けるのであれば、孫娘のお尻を叩くことや、子どもを柱に括りつけることが法律違反に該当する可能性は高い。
だが、冷静に考えれば、これらはいい大人が目くじらを立てるような話とは思えない。
加えて、子どもが非行に走ったり、犯罪に加担しようとした時、体を張って戒めるのも親の役割であろう。
「親は子どもと一緒に成長するものです。それなのに、法律が親の役割を抑え込むのはいかがなものか。法律が遵守されても、人間らしい人間が育たなくなるのでは本末転倒です」(徳岡氏)
ため息しか出ない今般の法改正。秩序を保つための法が家庭を壊しては話になるまい。
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