「しつけを法規制」の是非――“愛の鞭”か“暴力”か、綺麗ごとで済まない子育て

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家庭のしつけを法規制という暗愚(2/2)

 3月19日に衆院に提出された児童虐待防止法と児童福祉法の改正案は、「親による体罰の禁止」と「児童相談所の機能強化」がその要点である。東京都目黒区の船戸結愛ちゃん、千葉県野田市の栗原心愛さんが犠牲となった二つの虐待死事件を振り返れば、生き地獄と化した「家庭」から救い出してあげたいと思うのは当然かもしれない。

 一方、識者からは家庭でのしつけを法で縛ることに是非の声も(前回参照)。元航空自衛隊空将の織田(おりた)邦男・東洋学園大学客員教授は、これらの事件について“父親の行為はしつけではなく暴力”としたうえで、

「ただ、法律によって家庭内での体罰を一律に禁じることには首を傾げざるを得ない。このご時世、体罰を禁止すれば世論の支持も集めやすいとは思います。しかし、重要なのは、法改正が本当に子どものためになるのかということです」

 と、今回の法改正には異論を唱える。

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 知識や経験に乏しい子どもたちが、善悪の分別がつかないまま道を踏み外してしまうことは珍しくない。

「そんな時に、“子どもを信じて丁寧に説明すれば分かってくれる”などというのは偽善にしか思えません。教育は“強制”から始まるのです。時にはゲンコツを振りかざすことも大切でしょう。私が通った防衛大学校では敬礼の仕方から礼儀作法まで徹底して“型”を教え込まれました。規則に違反した時には、先輩から腕立て伏せを命じられたこともあります。ただ、その先輩は私と一緒に腕立て伏せをしてくれました。いまの基準に照らせば一種の体罰なのでしょうが、愛情を持って接してくれていることは十分に理解できた」

 織田氏はこうした「愛の鞭」と「暴力」を混同すべきではないという。

「イギリスでは長らく、上流階級の子弟が通うパブリックスクールで鞭の使用が認められてきました。子どもを傷つけない程度の鞭打ちを容認してきたのは、マレーシアやインドネシアも同様です。これらを“暴力”と呼ぶのなら、寺社で座禅を組んだ時に僧侶から警策で叩かれることも“暴力”に当たるのではないか」

 一方、人権に敏感なアメリカでは70年代に学校内での暴力や薬物の蔓延、学級崩壊が社会問題化した。

 そこで登場したのが、割れ窓理論を踏まえた「ゼロ・トレランス方式」だ。端的に言えば、学校が詳細な罰則規定を定め、違反者には容赦なく処分を下す教育改革である。この施策がアメリカの教育現場を立て直したと評価する声は少なくない。

「ただ、そこまで冷徹な方式は日本には馴染まないと思います。そうではなく、ひとりひとりの親が愛の鞭とは何かを考え直す必要がある。国家が法律で画一的に体罰を禁止すれば親は思考停止に陥るだけです。そうなると親は子どもの教育を投げ出してしまい、ネグレクト、いわゆる育児放棄が増加しかねません」(同)

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