「終活ライター」が父を亡くしてやっとわかったこと~父が倒れて、息を引き取るまで
「旦木博雄さんのご家族の方ですか?」
突然スマホに名古屋の市外局番「052」で始まる番号が表示された。電話に出た途端、相手が父のフルネームを口にしたことに面食らい、続く言葉に血の気が引いた。
私が葬儀やお墓、仏壇や介護など、終活に関する執筆を始めたのは2015年12月。これまで数え切れないほどの葬儀社や寺院、霊園など、供養業界の企業や団体を取材してきた。葬儀の簡素化に伴い、故人を偲ぶ機会が失われていく背景から、お別れ会を開くケースが増えているという現状も伝えてきた。大切な人とのお別れがきちんとできないと、遺された人は体調や行動、人間関係や人生にまで影響を受けることがある。死別の悲嘆=グリーフをケアすることの重要性を説く特集も企画した。
約3年間、さまざまな情報を得、学んできたにもかかわらず、動揺する自分に驚いた。
父が倒れて息を引き取るまで、家族でないとできない体験を味わったと思う。可能な限り振り返ってみたい。
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脳梗塞で救急搬送
1月24日。
父は脳梗塞を起こして外出先で倒れ、救急車で救急病院へ搬送された。私は昼過ぎに救急病院の医師から電話を受けた。それが冒頭の電話だ。
「旦木博雄さんは今朝10時頃、大きな脳梗塞を起こして救急車で運ばれました。かなり危険な状態です。呼吸もできなくなる可能性があります。すぐに病院へ来てください」
父は携帯電話を持っていない。医師は父の財布に家族の連絡先を書いたメモを見つけ、上から順番に電話をしたという。母に繋がらなかったため、2番目の私にかけたようだ。
両親と弟は名古屋だが、私は結婚して川崎で暮らしている。「私はすぐには行けませんが、母と弟に行くよう伝えます」。医師は病院名と連絡先を言い、電話を切った。
そのまま母に電話をすると、すでに救急病院にいた。何かの手違いで医師は母と会えず、私に連絡してしまったらしい。「詳しい状況が分かり次第電話してね」と言い、仕事中の弟にはLINEを入れておいた。
そこまでした後、激しい動揺が私を襲う。
かなり危険な状態?
呼吸もできなくなるかもしれない?
まだ68歳なのに……?
年末年始に名古屋に帰省し、1月4日に川崎に戻ったばかりだ。その日も父は変わりなく、笑顔で見送ってくれた。
私は帰省すると、地元の友だちに会うため、頻繁に外出する。その際、まだ小学校1年生の娘を連れては行けないので、両親に預けていた。これまで面倒をみてくれたのはほとんど母だったが、今年は珍しく「おじいちゃんと買物に行こうか」と言って、父が近くのショッピングモールへ連れ出してくれた。おじいちゃんと孫2人きりの、初めてのお出かけだった。
私が帰宅すると、娘は嬉しそうに父が買ってくれたものを見せてくれた。買物の後はカフェに入り、娘はチョコレートワッフルを食べ、父はコーヒーを飲んだという。「まるでデートだね」そう言ってみんなで笑った。
あのデートが、最初で最後になってしまうのか?
長年糖尿病を患っていた父が、あんな珍しいことをしたのは、死期を悟っていたからなのか?
そんな思いばかりが頭を埋め尽くした。
その日の夜、医師から「保って1週間」と告げられたと母から聞かされた。翌日は娘の授業参観だったため、私と夫と娘は、翌々日に名古屋へ向かうことにした。
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