習志野高「サイン盗み」疑惑、告発した星稜高・林和成監督の“主張”を一挙掲載
「週刊新潮」の独自取材
選抜高等学校野球大会が始まったのは1924年。元号では大正13年となり、1月に昭和天皇(当時:皇太子裕仁)が、香淳皇后(当時:女王良子)と結婚した年でもある。
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いわゆる“春のセンバツ”は今年で91回目という長い歴史を持つが、前代未聞の大騒動が3月28日に起きた。
その“主役”が、星稜高校(石川)の林和成監督だ。星稜高は大会屈指の右腕である奥川恭伸(3年)を擁し、優勝候補の呼び声も高かった。事実、初戦は履正社(大阪)に3−0で完封勝利。奥川は毎回の17奪三振、3安打と相手打線を完全に抑え込んだ。
3月28日、星稜は習志野(千葉)と対戦。平日にもかかわらず、3万8千人の観客が押しかけたのは、何よりも奥川の投球を見たかったからに違いない。
結論から言えば、星稜は1−3で敗れた。奥川は10三振を奪ったが、逆転負けを喫した。大会を主催する毎日新聞は、星稜の敗因を「打線のつながりを欠いた」と指摘した。
そして本題は、ここから始まる。星稜の林監督は試合終了後の記者会見で、習志野のサイン盗みを指摘。それだけにとどまらず、習志野の控え室に乗り込み、小林徹監督に猛抗議を行ったのだ。
その後、林監督は騒動には謝意を表したものの、「サインを盗まれた」との抗議を取り下げることはなかった。その主張は、今も変わっていない。これに対し、小林監督と審判委員は「サインは盗んでいない/盗まれていない」の見解で一致している。
この一件は、スポーツ紙などが詳細に報道した。大会終了後に高野連の規則委員会が検証を行うかどうか判断するとの観測もあり、依然として予断を許さない。そんな状況の中、星稜の林監督が「週刊新潮」の取材に応じた。その内容をご紹介しよう。
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