新聞によって同じ数字が真逆に解釈される怪(石田純一)
石田純一の「これだけ言わせて!」 第27回
2月24日に行われた沖縄県民投票。周知のように、辺野古の埋め立ての是非が問われたわけだが、投票結果が出て驚いた。いや、結果自体に驚いたのではなく、新聞ごとに報じ方があまりに違っていて、仰天したのだ。
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最初に事実を伝えよう。投票率は52・48%で、そのうち辺野古の埋め立てに反対なのが72・15%だった。
これを1面トップで報じたのが朝日と毎日で、日経はトップが「見えざる資産 成長の源に」という経済記事だった。もちろん、日経だからいつも通りという印象で、県民投票の記事はすぐ左に置かれていた。読売のトップは「人生100年」という健康モノの連載で、産経は海上自衛隊の閲覧式がトップ。もっとも、扱う大きさは各紙それぞれでいいのだが、びっくりしたのは、分析の違いによって、同じ事実が正反対に報じられるケースまであったことだ。
朝日から紹介すると、反対という民意が示され、安倍政権の対応が問われる、という趣旨が書かれていた。毎日も似たようなトーンで、埋め立てを強行する政府に強い民意が示された、という内容で、日経もおおむね、反対の民意が示されたという書き方だった。
一方、ひねっていたのが産経で、辺野古の埋め立ての反対は「全有権者」の過半数に至らず、4割にも満たなかったと報じ、翌日の紙面でも、「有権者」の6割が反対しなかった、と書いた。反対が全有権者に占める割合は35%だったので、その書き方も間違いではない。ただ、ずいぶんひねりを入れるものだと思った。次に読売は、投票率が52%と広がりを欠き、影響は限定的なものになると、政府の対応を見越した書き方をしていた。
さすがに、これだけ報じ方が違うと、違うということ自体に興味が湧いてくる。もちろん、各紙で意見は違っていいが、それにしても、今回は両極端に出たものである。たしかに、投票に行ったのが有権者の半分そこそこなので、ほとんどの人が反対に投じても、反対が有権者の過半数に届くのは無理だ。しかし、この論法だと、国政でも地方でも選挙の投票率が低い場合は、どんなに圧勝に見えても、有権者に支持されなかったことになってしまう。でも、そんな選挙報道は見たことがないのだが……。
読売は社説で、有権者に直接問うのはよろしくなく、国会議員に問うべきだと書いていた。産経はさらに過激で、県民投票は民主主義をはき違えたものだと評していた。政策決定の切り札になるわけでもなく、単に民意を示しただけで、そこまで言われなければならないのか。正直、そんなふうにも思った。ともかく、こうまでも見方が違う場合、たとえば朝日と読売というように、複数の新聞を読んでいればいいが、1紙しか読んでいないと、片方の捉え方を鵜呑みにすることになるのではないかと、心配になる。
自分は中立だ、と主張する人にはよく出会うが、現実には、本当に中立であることなどほとんどない。ある人から見ると極めて右の立場に見える人や、逆に、極めて左の立場に見える人が、自分を中立だと信じているということは、ままある。だが、せめてメディアには、中立であろうと努めてもらえないだろうか。意見はそれぞれでいい。むしろ、それぞれでなければいけない。でも、まずは事実を加工せずに示してから、意見を述べてほしいと思う。
みなさんは、この報道の違いを、どう感じただろうか。