パラオで出会ったフユコさんのこと(KAZUYA)
2015年に天皇皇后両陛下が慰霊に訪れたことでも有名な、パラオのペリリュー島に行ってきました。
見渡す限りの美しい海、そして豊かすぎる自然。ここがかつて地獄の戦場だったとは考えられないほどです。
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1944年9月から11月にかけて、日米双方が血みどろの戦いを繰り広げました。日本は圧倒的な物量を誇る米軍を水際で迎え撃つのではなく、無数の洞窟陣地を構築し、ゲリラ戦中心の持久作戦を展開したのです。
パラオは湿度が高く、気温以上に暑さを感じて体力を奪われます。そして艦砲射撃で一部は焼き尽くされながらも、鬱蒼としたジャングルが広がっています。
当時の日本軍は補給のない持久戦ですから、段々と水や食料も枯渇していきます。そんな中でも戦い、日本軍だけで1万人を超える方が戦死しました。
今なら暑ければ水を飲み、汗をかけばシャワーで流すことができます。しかし当時の彼らには当然無理。現代の軟弱な人間からすると「よくこんなところで2カ月以上戦っていたな……」と驚嘆するばかりです。
そうしたペリリューの戦いを描いた武田一義氏の漫画『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』が注目を集めています。可愛いタッチの絵なのに、描かれているのは死と隣り合わせの地獄というギャップ。こちらも是非ご覧ください。
パラオは当時の壕はもちろん、戦車や墜落した零戦などをそのまま保存しており、当時の記憶を残す文化財としても貴重です。
戦死者の御遺骨は今も収集作業が続いており、3年前に成立した「戦没者の遺骨収集の推進に関する法律」でその流れは加速しています。正直遅すぎるくらいなのですが、一柱でも多く祖国に帰ってこられるようにするべきでしょう。
戦争は多くの人の人生を狂わせます。厳しい状況に置かれ、死んでいった兵士はもちろんのこと、戦争という狂った状況に置かれた軍人以外の人々も同様です。
現地でお会いしたフユコさんの両親は日本人です。戦況の悪化に伴い、フユコさんの家族は洞窟に隠れて生活したそうです。まもなく、父親は栄養失調で亡くなります。まだ幼かったフユコさんはパラオの老夫婦に引き取られました。そして戦後、日本人は日本へ引き揚げることになりますが、老夫婦の希望もあってフユコさんはパラオに残り、母親と兄弟たちは日本へ。フユコさんはパラオ人として生きていくことになります。
敗戦後の日本は食うにも困る苦難の時代ですから、生き残るためにはパラオに残って良かったのかもしれない。しかし日本に帰っていたら、フユコさんにどんな人生が待っていたのか?それを考えると複雑な気持ちになります。
やはり戦争はいけません。混沌とする世界の中で、いかにそれを防ぐかが重要でしょう。非現実的なお花畑的発想ではダメだし、一方で過度な軍拡も安全保障環境に歪みを生みます。バランスを考えて現実的に進むのが大事です。