米17歳アマ少年の「迂回路でも常道でもない近道」という選択

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 米PGAツアーの「バルスパー選手権」(3月21日~24日)に17歳のアメリカ人少年、アクシャイ・バティアくんがスポンサー推薦で出場し、話題になった。結果を先にお伝えすると、残念ながら予選落ちだったが、大人のプロたちの中で堂々としたプレーぶりを披露し、「十分、戦える」という印象を人々に与え、驚かせていた。

 ノースカロライナ州内のハイスクールに通っているバティアくんは、世界アマチュア・ランキングで8位に位置付けられるトップアマだ。

 元々は4歳年上の姉が先にゴルフを始め、バティアくんは姉を手本にしながら2人でゴルフの腕を磨いてきた。その姉は、すでに州内のシャーロット大学へ進学し、女子ゴルフ部に入部している。そして弟のバティアくんは、数々のジュニアタイトルを獲得し、15歳のとき、「ボーイズ・ジュニアPGA選手権」で2位に3打差をつけて圧勝。

「あの大会でビッグタイトルを手に入れたことが大きな自信になりました」

 今年9月に開催される「ウォーカーカップ」は、プロゴルフ界で開催される米欧対抗戦の「ライダーカップ」のアマチュア版のような大会で、トップアマの間では代表選手に選ばれるだけでも大変な名誉とされている。バティアくんは、そのウォーカーカップに米ゴルフ史上初めて高校生で出場することが決まっている。

 そうした活躍と将来性が見込まれて、バティアくんはバルスパー選手権から推薦出場をオファーされ、今秋の「RSMクラシック」にも推薦出場する予定だ。

 そして、今年の暮れにはプロ転向するという。大学へ進学しようかどうかという迷いは「一切ない」と、バティアくんも彼の父親ソニーさんも、きっぱり言い切っている。

「チーム・バティア」を結成

 バティアくん父子は、なぜそこまで「大学へは進学しない」と言い切れるのか。

 バティアくんいわく「僕は勉強が嫌いだし、教室にじっと座っていることは僕の性分に合わない。それよりもゴルフクラブを握っているほうがいい」。

 父親ソニーさんも息子のそんな性分や希望を踏まえ、こう言っていた。

「大学に進学し、カレッジゴルフを4年間、体験するのは素晴らしいことだろうし、カレッジ・チャンピオンを目指して頑張ることは、グレートなことだと思う。だが、我が息子には、それは当てはまらない」

 そう考えた父親ソニーさんは息子に「大学には行くな、行くな、行かなくていい」と呪文のように囁き続けたそうだ。それを聞いてバティアくんも「行かなくていいなら行かない。そのぶんゴルフがいっぱいできるなら、そのほうがいい」。

 そして、父親ソニーさんはトッププロのサポート体制さながらに「チーム・バティア」を結成。バティアくんを13歳から指導してきた全米屈指のゴルフインストラクター、ジョージ・ガンカスを専任コーチに迎え、バルスパー選手権のようなプロ大会やアマチュアのビッグ大会に出場する際は、友達や学校の先輩後輩といった「仲良し」に慣れ合い的にバッグを担いでもらうのではなく、プロフェッショナルなベテラン・キャディを雇い入れ、戦いの相棒に据えた。

 さらには、弾道やスイング速度、スピン量などをチェックするためにトッププロたちが練習場で使用している高価な機器「トラックマン」を数百万円かけて購入し、父親ソニーさんが常時持ち歩くという徹底ぶりだ。

「今年の終わりにプロ転向する準備は、すでに整いつつある」

 バティアくん父子は、すでにそう確信しているという。

「ジョーダン・スピースする」

 米ゴルフ界の歴史を振り返れば、かつての大物選手は4年間の大学生活とカレッジゴルフをきっちり体験した上で、卒業後にプロ転向し、米PGAツアーにデビューするというのが「順路」だった。

 ゴルフ界の「キング」アーノルド・パーマー(故人)はウェイクフォレスト大学、「帝王」ジャック・ニクラス(79)はオハイオ州立大学、「新帝王」と呼ばれたトム・ワトソン(69)はスタンフォード大学を卒業後、プロになった。

 かつて、ワトソンがこんなことを言っていた。

「大学で過ごした4年間、学ぶものは多々あった。4年間、カレッジゴルフで戦った経験が、その後のプロ生活でどれほど役に立ったことか。それに、プロゴルファーとしてのキャリアを途中で終える人もいれば、故障などによって終えざるを得なくなるケースだってある。そうなったとき、大学卒業資格は必ずや役に立つ。だからプロを目指すゴルファーは、大学だけはきっちり終えて、それからプロキャリアをスタートしてほしい」

 しかし、そんなワトソンの主張を遮る形になったのが、皮肉にもワトソンのスタンフォード大学の後輩となったタイガー・ウッズ(43)だった。キャンパスライフもカレッジゴルフもひと通り経験したウッズは、大学生活を2年で切り上げ、プロ転向。

 その後のウッズのサクセス・ストーリーに感化された若者たちは、以後、ウッズと同じ道を辿るようになり、大学生活を半分だけ経験したらプロ転向することが、90年代終盤から、つい数年前までの「主流」となっていた。

 そこに変化をもたらしたのが、ジョーダン・スピース(25)だった。テキサス大学に進学したスピースは、学費も生活費もゴルフの費用も、すべて自力で賄っていたが、「僕はそれはそれは貧しくて、赤貧生活から逃れたい一心で早くプロになり、賞金を稼ごうとした」。

 大学生活を1年そこそこで切り上げ、出場資格も保証も何もないまま、プロ転向し、一か八かで米ツアーに挑んだスピースは、あれよあれよという間に初優勝を挙げ、正式メンバーへ、シード選手へ、メジャーチャンプへとスターダムを駆け上がっていた。

 未来のプロゴルファーを目指す米ゴルフ界の若者たちは、そんなスピースの駆け足の歩み方を「ジョーダン・スピースする」と表現し、「僕もジョーダン・スピースしたい」と言って目指すようになった。

 こうして、米ゴルフ界の若者たちの大学生活は、パーマー、ニクラス、ワトソン時代は4年間、ウッズ時代は2年間、スピース以降は1年間という具合に、どんどん短期化し始めている。

 欧州ツアーに目をやれば、スペインのセルジオ・ガルシア(39)や北アイルランドのローリー・マキロイ(29)など、高校卒業後にすぐさまプロ転向した成功例が多く見受けられる。だが、米ツアーでは、大学にまったく進まずプロ転向する例は多くはない。

 そんな中、バティアくんは、米国のプロゴルフ界においては珍しい超早期プロ転向の例になりそうである。

ニクラスのひと言

 それがいいのか悪いのかは最終的には結果論になる。

 だが、現時点でチーム・バティアの姿勢を眺めて素晴らしいなと思えるのは、プロ転向のタイミングこそ早くなるとしても、彼らが焦ったり、浮き足立ったり、あるいは有頂天になったり、実力を過大評価したりしていない点だ。

 スピースのようにプロキャリアを一か八かのギャンブル的にスタートするのではなく、まずは下部ツアーである「ウェブドットコムツアー」のQスクール(予選会)に挑み、それを突破できたら、下部ツアーで経験と実績を積んだ上で米ツアーへ進もうと彼らは考えている。

 選ぼうとしているのは迂回路でも常道でもなく近道だが、その近道を進む際は慎重に順路を辿ろうとしているところが目新しい。

 言い換えれば、大学生活を下部ツアー生活へ置き換えようとしているということ。それは、下部ツアーの拡充を図る米PGAツアーの思惑通りと言うこともでき、その意味でバティアくんは現在の米PGAツアーの申し子のような存在と言っても過言ではない。

 こんなエピソードもある。5年前、バティアくんは「マスターズ」開幕直前に「オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ」で開催される「ドライブ・チップ&パット選手権」に出場し、そこでニクラスと話をする機会に恵まれた。

 バティアくんがニクラスに大学生活のことを尋ねると、ニクラスはこう答えたそうだ。

「ふーむ。私は大学では全然勉強しなかった」

 それを聞いたバティアくんは、大学に進まずしてプロ転向する意志を強く固めたそうで、ニクラスがそう答えたのは、先見の明だったのか、それとも優しさゆえだったのか。

 ともあれ、バティアくんの今後が、とても楽しみである。

舩越園子
在米ゴルフジャーナリスト。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。

Foresight 2019年3月28日掲載

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