「国家の品格」藤原正彦が「フィギュアファンの品格」に感動した理由

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 23日に行われた「世界フィギュアスケート選手権 男子フリー」では、羽生結弦選手が米国のネーサン・チェン選手を逆転できるかに最大の注目が集まった。結果として、逆転はかなわなかったものの、ハイレベルな戦いは会場のファン、そしてテレビ観戦のファンに感動を与えたのは間違いない。

 しかし、競技そのものもさることながら、観客の姿勢に感動を覚えた人もいるようだ。

 数学者でベストセラー『国家の品格』の著者、藤原正彦氏は24日出演した「報道プライムサンデー」(フジテレビ系)の中で、こんな感想を口にした。

「会場を埋め尽くした多くの日本人が、ネーサン・チェン選手が勝ったときに大きな拍手を送りました。たとえ他国の選手であっても、素晴らしい演技には喝采を送る。そこに日本人の民度の高さが示されていたと思います。素晴らしいことです。

 大坂なおみ選手がアメリカで優勝した時には、当初、ブーイングが浴びせられたことを考えると、日本人の良さがあらわれていたと思います」

 従来から日本人の「惻隠(思いやり)の情」や「卑怯を憎む心」の美徳を説いてきた藤原氏だけに、観客のフェアプレー精神に注目したというところだろう。同番組では、こうした心を日本人は失ってはならないし、そのためには「教養」をつちかうことが大切だ、とも説いている。

 ただし、教養といっても昔ながらの西洋崇拝――たとえば西洋の哲学をやたらとありがたがる――には意味がなく、単なる根無し草になってしまう、とも言う。新著『国家と教養』では、そうした教養を身につける以前に、まずは日本人としての情緒、感受性を育むことが大切だと強調されている。藤原氏の説が独特なのは、そうした情緒や感受性は「大衆文化」によって培われる、としている点だ。(以下、引用は『国家と教養』より)

「我が国が長い歴史を通して美的感受性のとりわけ鋭い国民を魅了してきた大衆文化は、普遍的価値を有するものです。

 英国の著述家エドウィン・アーノルドは明治22年のスピーチで、日本の自然美、芸術、日本人の謙譲、誠実、礼節などに触れ、『日本は地上で天国あるいは極楽に最も近づいている国』と語りました。大衆文化を通して情緒や形を培われた国民がいたからです。

 これら大衆文化には日本人の情緒や形が凝縮しています。大衆文化を通俗的と軽侮し、西洋生まれの古典や哲学を崇拝していたこれまでの教養層に、日本人としての情緒や形が欠ける傾向にあったのは当然です。文明開化以来の西洋への憧憬に根差した、借り物とも言える教養が、困難に当たって何の力も発揮できなかったのは仕方ありません」

 番組では、カントやショーペンハウアー等の難解な哲学書を読むくらいならば、情緒にあふれた大衆文学やマンガ、アニメに接したほうが良いとまで藤原氏は言い切り、司会者らを驚かせていた。

 いずれにせよ、フィギュアスケートを楽しむ観衆が、ごく自然にネーサン・チェン選手の演技に拍手を送っていたことは、藤原氏の言う「情緒と形」が日本人の中にごく自然に残っていた証と言えよう。その意味で、「日本もまだ捨てたものではない」と言ったら、言い過ぎであろうか。

デイリー新潮編集部

2019年3月28日掲載

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