「元号いらない」共産党は天皇制をどう批判してきたか

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志位委員長の発言

 日本共産党の志位和夫委員長は、2月28日の記者会見で、「元号は、もともとは中国に由来するもので、『時をも君主が支配する』との考えからきている。日本国憲法の国民主権の原則になじまないと考えている」と述べ、「元号はいらない」という立場を明確にしたという。
 しかし、志位委員長の論理を用いれば、「西暦は、もともとキリスト教に由来するもので、キリストの誕生が起点となっている。日本国憲法の政教分離の精神にはなじまない」ということだって言えてしまう。

 国民の反発をおそれてか、中国由来であることを理由としているものの、「天皇制なんかいらない」というのが彼らの本音だと見たほうが自然だろう。共産党は戦前も戦後も一貫して、天皇制に対しては否定的な立場なのだ。その流れを『日本共産党の正体』(福冨健一・著)をもとに見てみよう(以下、引用は同書より)。

 まず、戦前の日本共産党綱領。これはコミンテルン(国際的共産主義組織)の指示で作成されている。

「1932年の32年テーゼを見ると、明治以降の日本について『強盗的日本帝国主義は、植民地略奪』を行ってきたと見ています。天皇制については、『1868年以後に成立した絶対君主制』『天皇制国家機構は、現在の独裁の強固な背骨』と見ています」

暴力革命

 そのうえで「天皇制の転覆」と、「日本の敗戦、ソビエトの勝利、中国共産党の支援」を目指していたのがこの時代だった。
「転覆」と表現するかどうかは別として、戦後も天皇制の廃止を求めてきた点は一貫している。1951年に定めた綱領では、彼らの理想を実現するために「平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」と主張している。つまり、暴力革命が必要だ、という考え方だ。その後、61年綱領を経て、現在の共産党の綱領は2004年に定められたものとなっている。

 ここでは天皇制について、次のようなスタンスだ。

「天皇条項については、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。一人の個人が世襲で象徴となる現制度は、民主主義と人間の平等の原則と両立するものでなく、民主共和制を実現すべき立場に立つ。
 天皇制の存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決すべき」

 昔と異なり、言葉を選んではいるものの、天皇制の「存廃」を「解決」というのは「そのうち廃止したい」とも読めるだろう。そのスタンスであれば、元号について否定的なのもよくわかる。ただ、天皇制をなくすということは、現行の日本国憲法を改正することになるのだが……。

デイリー新潮編集部

2019年3月25日掲載

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