再審確定の湖東病院事件 取調べ捜査官への恋慕が招いた獄中生活12年の悲劇
誰でも作れる話に「迫真性」
有罪認定した判決は、西山さんの自白について「現場にいた人でなければ語れない迫真性に富む」などとする。供述書には「(男性患者は)眉間に深いしわをよせて口をハグハグさせて」「手に汗がにじんだ」などとあるが、そんな内容ならいくらでも創作できる。西山さんを追い込んだ裁判官たちは、何を見ていたのか。
過失でもない、もちろん殺人など無関係。それなのに、患者の自然死が「事件」になってしまった一つの原因は、一緒に任意聴取されていたA看護士の対応にあった。A看護士が、男性患者の心肺停止を最初に見つけた。西山さんは「Aさんに『アラーム鳴ってなかったよね』と言われた。音は聞いてないし、チューブが外れているのも見ていません」と話す。実はA看護士には2時間ごとに、男性患者の痰の吸引をする義務があった。午後11時が最後なのに、「午前3時に吸引した」と看護日誌に嘘を書いた。痰が詰まって死んだと思い込み、怠慢を問われると案じたA看護士が咄嗟に「呼吸器が外れていた」と嘘をついた可能性が高い。
しかし西山さんは、自分の供述と矛盾することで仲の良いA看護士が取り調べで苦しめられていると思い、A看護士を守ろうとした。「現場責任者のAさんはシングルマザーで、逮捕されたら生活できない。自分は正看護師でないし、親と暮らしているし」と話す。A看護師は退職し、弁護団に協力しなかった。
西山さんは最後の取り調べで、山本刑事との別れ際、「離れたくない」と抱き着いた。「彼は拒否しなかった。頑張れよと励ましてくれた」と振り返る。一昨年、筆者が西山さんを訪ねて「騙されたと思いますか」と尋ねると「もう考えたくないです」と机に突っ伏していた。
西山さんは高校卒業後、別の病院で働いたが、湖東記念病院に移って半年で「事件」に巻き込まれた。任意取り調べ中も、拘置所で針金を飲んで自殺未遂し、精神科に通院、軽度の発達障害と診断された。
父・輝男さん(77)と母・令子さんは毎月、和歌山刑務所に面会に来た。西山さんは「私は勉強ができなくて、よくできた兄と比べられてコンプレックスを持っていた。それを刑事に言うと『お兄さんと同じように賢いところあるよ』と言われて、嬉しくなってしまった」「子供のころから本当の友達はいなかった。お金をあげたり、嘘ついて、友達を作ってた」とも告白する。獄中から両親への手紙は350通を超え「自分は殺していない。信用してしまったこともアカンし好意を持ってしまったこともアカン。みんなにつらい思いさせてしまって……」などと綴られる。輝男さんは「何もわからん娘に警察はあまりにも残酷な……」と唇を噛んだ。
3人の判事で行使される最高裁小法廷は今回、全員一致の決定だったが、実は1人が最高裁長官となり抜け、もう1人の三宅守判事は、この事件を大阪高検の検事として関わっていったために外れていた。もし三宅守判事が外れていなければ、どうなったのか。従来「開かずの扉」と呼ばれた再審も、明確な新証拠が見つからなくとも認められるなど、少しずつ緩和された。志布志事件、足利事件、布川事件など、捜査側の出鱈目が相次いだからだ。
西山さんは「20代の一番大事な時を刑務所で過ごすのは辛かった」とも吐露している。女性として最も輝いていた時期を卑劣な刑事によって無残に奪われたのだ。
[4/4ページ]