片づけを“宗教”にした「こんまりさん」はすごい(古市憲寿)

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 ものを捨てるタイミングには、いつも迷う。

 最も楽なのは食品だ。消費期限が設定されていて、その期間内に手をつけられなかったものは捨てればいい。何せ下手をしたらお腹を壊す。消費期限を大きく超過した食べ物を大切に保管する人はいないだろう。

 家電もそれほど難しくない。テレビやパソコンは使っているうちに調子が悪くなってきたり、明らかに良質な新製品が発売されたりする。進化が止まったように見えるスマホも、数年前と最新の機種を比べてみると、画面やカメラの画質がきれいになっていてびっくりする。

 だから僕自身、家電を買い替えたり、捨てることに抵抗は少ない。一部のマニアを除けば、20年前のパソコンを大事に使っている人は少数派だろう。

 まあまあ迷うのが服。家電などのような機能的な価値に、流行という要素が加わる。物理的にはまだまだ着られる服も、ちょっとしたシルエットやサイズ感の違いで、流行遅れの格好悪いものに見えてしまう。その見極めには、個人的な好みやセンスが関わってくる。

 本当に難しいのは家具だ。まず、家電と違って中々壊れない。これまで買ったことのある家具で、壊れて捨てたものといえばIKEAの本棚くらい。しかも本当は流行があるのだろうが、一般人にはわかりにくい。下手したら、家具には「一生もの」という感覚さえある。

 インテリアショップ「リビングハウス」社長の北村甲介さんに聞いたのだが、日本は家具の買い替えまでの期間が、異様なほど長い国だという。実際、人口当たりの家具屋の数も少ない。

 そういえば僕の北欧の友人も、よく家のリフォームをしている。当然のように家具も定期的に買い替えていた。家にいる時間が長く、ホームパーティー文化もあるので、お金をかけてでも「素敵な家」を作りたいと思うのだろう。

 昔の人には、捨てる悩みなんてなかったはずだ。ものが貴重な時代には、壊れるまで使い続けるのは当たり前だった。しかし現代でそんなことをしていれば、あっという間にゴミ屋敷が誕生してしまう。

 片づけコンサルタントの近藤麻理恵さんが、世界的に注目を浴びるのもわかる。近藤理論は単純明快。触った瞬間に「ときめく」ものは残し、そうでないものは捨てればいい。

 近藤さんがすごいのは、片づけという行為を宗教的行為にまで高めたことだ。『人生がときめく片づけの魔法』によれば、「片づけ後のあなたは、もはや今のあなたとは別人」だという。「片づけ」は心を満たし、人を幸せにする。服を捨てると、痩せるとまでほのめかす。入信したくなる宗教だ。

 ものが溢れる時代の片づけには、合理的根拠を超えた「何か」が必要である。合理的に考えれば、まだ着られる服や、使えるテーブルを捨てるのは明らかにもったいない。資源の無駄遣いともいえる。でもそんな人生は、賢くはあっても、ときめかない。その意味で、片づけと宗教が結びつくのは必然だったのだろう。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2019年3月21日号掲載

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