オリンピックおじさん「山田直稔さん」死去、 昨年語っていた東京五輪への熱い想い
中継画面にうつりこむ“五輪おじさん”として知られた山田直稔さんが、3月9日に心不全で亡くなった。92歳だった。1年前の平昌五輪の開幕直前に行ったインタビューでは、“来年の東京五輪を集大成に”と本誌に語っていた。故人を偲び、改めてその言葉を振り返りたい。(以下、18年2月9日掲載時のもの)
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山田直稔――1926年(大正15年)4月16日生まれの91歳。本業はワイヤーロープ加工の浪速商事を中心にホテル事業、不動産事業などを、一代で築いた浪商グループの会長である。84年には紺綬褒章も受章している。
一方、1964年の東京オリンピックを皮切りに、メキシコシティ、ミュンヘン、モントリオール、モスクワ、ロサンゼルス、ソウル、バルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロと14回連続で夏のオリンピックに足を運び、金色のシルクハットに羽織袴の出で立ちで日の丸を振る、人呼んで“オリンピックおじさん”のほうが有名だ。山田氏に平昌への期待を聞いてみよう。
「平昌? 行かないよ、寒いもん。もうすぐ92歳になるんだから、命取りになっちゃうよ」
オリンピックおじさん、平昌は眼中になかった。実をいうと、これまでも冬のオリンピックには参加してこなかったという。
「オリンピックはやっぱり夏だよ。夏に盛り上がるからね。でも長野オリンピックは行ったんだよ。南国の王様たちが来る予定だったんだけど、台風で来られなくなって200枚もチケットが余ったんだ。それで困っているとオレの所に話が来たから行くことになったんだよ。その前から開会式について意見を聞かれたりしたせいもあるだろうけどさ」
どうにも冬のオリンピックには興味がないらしいのだ。
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