「翔んで埼玉」大ヒットで注目される「さいたまんぞう」の不満 意外な事実を告白
埼玉とは縁もゆかりもない岡山出身
――50代以上の方なら記憶にあるはずのヒット曲だが、若者の中には映画のために新たに作られた曲だと思っている人もいるという。「なぜか埼玉」は1981年にフォーライフ・レコード(現フォーライフミュージックエンタテイメント)から発売された曲である。
さいた:実は、その前年に自主制作としてインディーズで出しているんです。もともと、群馬、栃木と、ご当地ソングを出していたレコード会社が、第3弾として企画したのが「なぜか埼玉」でした。群馬・栃木に関しては、それぞれの県出身の方が真面目に歌ったものでしたが、なぜかこの曲に関しては作詞・作曲の秋川鮎舟さんが「コブシを使えない奴に歌わせる」と決めていたんです。でも、歌手になろうと勉強していた方に、コブシを使わずに演歌を歌えと言っても無理な話で、皆さん断られたようです。そこで埼玉とは縁もゆかりもないボクに白羽の矢が立ったわけです。
――縁もゆかりもない?
さいた:そうです、岡山出身ですからね。バンドボーイから成功された西郷輝彦さんに憧れて、高校を卒業するとバンドボーイになるために上京。グループサウンズのアウト・キャストのバンドボーイとなって、その後は自分でもバンドのドラマーをやっていました。その先輩ドラマーが秋川さんだった縁で声がかかったんです。歌ったことも、歌手になる気もなかったボクに、「メロディーだけはしっかり覚えろ」って。
――そこで、あの演歌のようなムード歌謡のような曲なのに、歌唱テクニックがまったく入っていない「なぜか埼玉」が生まれたのだ。
さいた:歌詞も埼玉県をディスったものではないけど、歌い方のせいですかね、当時は埼玉をバカにしているという声もありました。一応、キャンペーンとして埼玉を中心にスナック周りはやりましたよ。でもね、ボクにはA面の「なぜか埼玉」とB面の「埼玉いろはづくし」しか持ち歌がないわけですよ。そのくせ、ママとのデュエットや客からのリクエストにも応えない。売れませんよね。でも、酔っ払った勢いでレコードを買ったお客さんのお子さんが、それをラジオ局に送ったことから状況が変わったんです。
――81年2月、「なぜか埼玉」は「タモリのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)で流された。
さいた:ナンセンス・ソングをかける「思想のない歌」というコーナーで繰り返し流されて話題となり、パクッと食いついたのがフォーライフ・レコードでした。当時、フォーライフは、ザ・ぼんちの「恋のぼんちシート」(81年1月発売)で大当たりし、「なぜか埼玉」(81年4月発売)は二匹目のドジョウだったんです。
[2/3ページ]