3.11被災地「神社無償再建」に込めた「地域再生」への思い
福島県双葉郡浪江町両竹(もろたけ)地区の、標高25メートルほどの高台に小さな神社がある。「建御名方神(タケミナカタノカミ)」を祭神とする諏訪神社だ。
社伝によると9世紀初め、蝦夷征討に出立した征夷大将軍坂上田村麻呂がこの地で勧請して創建された、とされる。今に残る最古の棟札は宝永5(1708)年のものであり、明治5(1872)年には村社の社格を得て、長らく地域住民の篤い崇敬を受けてきた。
そして2011年3月11日14時46分――震度6強の激しい揺れが浪江町を襲った。さらに最大15.5メートルもの津波が押し寄せ、両竹地区の全戸が流出した。
地震発生後、約50人の住民が高台の諏訪神社に避難した。ところが本殿は倒壊し、拝殿も半壊している。もはや家に戻ることのできない避難者たちは、本殿の木材を燃やして寒さをしのぎ、翌日自衛隊のヘリに救出された。諏訪神社は避難者を救ったのだった。
だが、災難は続く。諏訪神社の南約5キロにある東京電力福島第1原子力発電所の事故によって、2年前の居住制限区域及び避難指示解除準備区域の解除まで、6年に亘って居住できなくなってしまったのだ。
諏訪神社は現在、東京都内の篤志家が寄進した祠こそあるが、約60戸の氏子全員が、今も「双葉郡外での避難生活を余儀なくされています」(諏訪神社宮司の木幡輝秋さん)という。震災前は地域コミュニティの中心であり、避難者を寒さから救った神社が、今も荒れ果てたままなのである。
そんな諏訪神社を再建しようという動きが始動した。大阪に本社を置く住宅会社「創建」が中心となって「災害被災神社再建・地域復興プロジェクト実行委員会」を立ち上げ、神社を無償で再建して寄贈しよう、というのである。3月7日に行われた記者発表によると、6月下旬には基礎工事を始め、10月末には完成して11月に竣工祭を行う予定だという。施工は創建グループの「木の城たいせつ」(北海道栗山町)が請け負う。
“神様の住む家”を
実は創建にとって、被災神社の無償建築と寄贈は初めてのことではない。2016年4月14日に発生した熊本地震で倒壊した、熊本県西原村の白山姫(しらやまひめ)神社を、2018年11月に再建して寄贈。今回の諏訪神社が2例目となる。
創建の吉村孝文会長によれば、神社再建プロジェクトを立ち上げるきっかけにはいくつかの「縁」があったという。その1つ目が、10年前に木の城たいせつをグループの傘下に収めたことだった。
「木の城たいせつはもともと、宮大工に弟子入りした創業者が、北海道で地域材を生かした住宅作りを進めていました」
ところが2008年に経営が破綻。吉村会長が引き継ぎ、創建のグループ会社として事業を再開した。
そして4年前、北海道札幌市にある石山神社の建て替え話が飛び込んできた。
「私どもの持つ技術が見込まれたと喜ばしい反面、不安もありました」
神社仏閣といった本格的な木造工法=軸組工法はこれまで、熟練した宮大工の技術に拠るところが多かった。ところが木の城たいせつは、そうした伝統技術と最先端技術を融合させ、あらかじめ工場でプレカットした木材を現地で組み立てるという技術を、全国で唯一持っている。
この「神社工法」だと、コストや時間のカットにつながるだけでなく、従来の木造工法と比べても倒壊強度実験で2倍、積雪荷重実験で3倍の強度を得られているという(自社実験による)。
「私たちはこれまで、こうした技術を使って“人の住む家”を作り続けてきました。そして今度は、“神様の住む家”を建築するという事業に携わることになる。私どもの工法で、石山神社の建て替えをさせていただきました」
いざ竣工すると、地域住民の喜びの声がたくさん寄せられた。神社の再建がこれほど人の心を浮き立たせるものなのだ、という思いが、吉村会長の胸に広がったという。
出雲大社宮司との出会いで
これからは社会貢献として、自社の技術を生かした神社再建をしていけないだろうか――そんな思いが吉村会長の胸に広がり始めたころ、ふとしたきっかけで出会ったのが千家尊祐・出雲大社宮司だった。2つ目の「縁」が、これである。
「ほんとうなら、となかなかお会いすることのできない千家宮司とお会いできたことは大きかったですね」
吉村会長は一昨年、千家宮司からいろいろな話を聞いた。神社、特に災害に遭った地域の神社が大変な状況にあること。社殿に被害が及んでいるだけでなく、神社を支える氏子も被災しており、再建への道のりが非常に厳しいこと……。
「ならば年に1棟、われわれが費用も出して再建し、それを寄贈するという事業を始めようと決意したのですが、幸いにも千家宮司にご共感いただきました」
そして千家宮司から紹介されたのが、プロジェクト第1号となる白山姫神社だった。
創建ホームページによると、〈施工については、木の城たいせつが大工工事を、その他の工事を熊本にある(有)三友企業に担当して頂くことになりました〉と、地元企業との共同作業で再建は進められた。2018年9月4日に上棟祭をとりおこない、10月末に完成。11月6日に竣工式が盛大におこなわれた。
「今年のお正月、地元のみなさんが初詣のお参りにたくさん来られたと聞き、再建をお手伝いさせていただいて本当によかったと思いました」と語る吉村会長は、同時にこんな感慨も口にした。
「改めて思いました、神社は地元の人にとっての心のよりどころであり、コミュニティの中心なんだと。そして日本人にとって、神社は必要な場所なんだと」
日本人に必要な地域コミュニティ
「私は、家庭だけでなく、近所の人たちに育てられましたし、人がすれ違えば挨拶の言葉が飛び交う街で育ったと思っています」
と、吉村会長は振り返る。
「そんな地域コミュニティの中心に神社がありました。初詣があり、お祭りがあり、そこでひとが交流する。私が小さい頃の昭和30年代の日本人には、そうしたものを大切にする心がありました。私は今こそ、その心が必要だと思っています」
そうした考えは、まず創建の事業として結実する。大阪府吹田市の丘陵地約4万平方メートルに展開する「ルナ∞ヴィータ」(2007年竣工)では、若い世代の戸建て住宅「ルナハウス千里 丘の街」87戸、熟年層向けの15階建てマンション「ルナコート千里 丘の街」258戸、有料老人ホーム「ルナハート千里 丘の街」98室と、3世代が共生する街を作り上げたのだ。ここでは、ライフステージごとに住居を替えるだけで、同じ街で生涯を過ごすことができる。かつての日本人のライフスタイルを、未来型に作りかえたものと言っていいだろう。しかも、
「ふつうマンションには、エレベーターはそんなに多く設置しないのですが、ここでは両隣3軒が同じエレベーターを使えるようにしました。ご近所さんの感覚を持っていただけたら、という考えでのことです」
と、ここで新しいコミュニティを作っていこうと考え、その狙いは見事に当たった。竣工翌年にはリーマンショックに見舞われたが、「ルナ∞ヴィータ」は好評をもって迎えられたのだった。こうした経験も、神社再建プロジェクトにかける吉村会長の熱意の元になっているのである。
「無償」以外のお手伝いも
そして、プロジェクト第2弾が浪江町両竹の諏訪神社となったわけだが、これも千家宮司の紹介だったと、吉村会長は言う。
ではなぜ諏訪神社だったのか。これについて福島県神社庁長の丹治正博氏は、この神社が地域住民約50人の命を救ったという事実があり、かつ両竹地区に復興祈念公園が建設予定であることを挙げ、
「諏訪神社は、復興祈念公園を見下ろす高台に再建されることになります。ここが公園とつながり、ふるさとと人とを結ぶ場、伝統行事継承の場となっていくことを期待しています」
と語る。
だが、今回は高台ゆえに苦労も多い。建築面積は約44平方メートル(13坪強)だが、鎮座地には狭い階段を使って上がるしかない。プレカットした材木をトラックで現場まで運ぶ、ということがほとんど不可能なのである。
「施工は私どもと地元の協力業者でやりますが、地元のみなさんにもお手伝いいただいて、建材を運び上げることができたら、と考えています」(吉村会長)
諏訪神社の再建と並行して、プロジェクトは次の候補地を探すことにもなる。
「正直なところ私は、震災に強い自社工法の住宅をもっと世に広めたいと思っています。神社の無償再建と寄贈にはそういう気持ちも含まれています。でも一方で、公共機関ができない“地域コミュニティ”の再生にも真剣に取り組みたい。神社の無償建築は年に1棟しかできませんが、私どもの工法なら低コスト・短期間での建築が可能ですので、無償以外でもいくらでもご相談に乗りたいと考えています」
無償建築を続けるためには本業をまずがんばらなければなりませんね、と笑う吉村会長のプロジェクトは、これからも続く。