「美人なのに自己肯定感が低い」31歳女子を形成した壮絶半生

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 2018年に東洋経済オンラインで最も記事が読まれ、新書『発達障害グレーゾーン』が発売1ヶ月で4刷の気鋭のライター・姫野桂さんの連載「『普通の女子』になれなかった私へ」が始まります! テーマは「女性の生きづらさ」、読めば女性は共感必至、男性は目からウロコ。第1回は、姫野さん自身の「生きづらさ」について綴っていただきます。

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スクールカースト最底辺の暗黒時代

 かつて私の自己肯定感はひどく低かった。過去形なのは、今は自分を受け入れられているからだ。親には愛されて認められて育った。なのになぜ、こんなにも自分に自信がないのか。決して美人とは言えない女性が堂々としている姿や、恋人といちゃついている姿を見ると、自分がとてもみじめになると同時に苛立ちを感じていた。

 一昨年、父方の祖母が亡くなった。おしゃれが大好きな祖母だった。最近、父が古い写真をデジタル化して整理しているようで、若かりし頃の祖母の写真が私にそっくりだと送られてきた。そこには、女優のような美人の祖母が写っていた。そして、私に瓜二つだった。私は流行の顔やモデルになれるほどのスタイルの持ち主ではないが、客観的に見ると美人の部類に入るのだ。

 人からも「なんで桂ちゃんは綺麗なのにそんなに自分に自信がないの?」と聞かれていた。自分でもなぜ卑屈になってしまうのかずっと分からないでいた。

 地元は九州の片田舎。周りは農家や畜産業か、お父さんが会社員でお母さんは専業主婦という家庭ばかりだった。そんな中我が家は、父はフリーの翻訳者、母は養護教諭。特別裕福というわけではなかったが、毎年海外旅行へ行き、中高は私立一貫校、大学も私立へ通わせてもらった。一人っ子なので、これで後一人子どもがいたら中高大と、私立へはやれなかったと親には言われた。田んぼが広がる田舎だが、ピアノ、陶芸教室、書道、ガールスカウトなど、やりたいと言った習い事は全てやらせてくれた。周りの子たちに比べると、文化的環境に恵まれた家庭で育ったと思う。

 でも、その習い事をして充実している私を見る親の顔が好きだったのだと今になって思う。記憶が曖昧な部分も多いが、親の期待に応えようと日々気を張っていた。サンタクロースなんていないと小2のときに同級生から知らされた。けれど、信じている子どものほうが可愛いと、小5まで信じている設定にしていた(それに、いないと分かるとプレゼントをもらえなくなるかもしれないという姑息な思いもあった)。私はずっと「公式プロフィールの私」を演じていた。
 
 中高時代はさらに暗黒だった。親の期待に応えるためにはスクールカースト最底辺の良い子でいなければいけなかったし、何より上位の甲高い声でおしゃべりに興じる女子たちが怖かった。上位の男子からいじめに近い仕打ちを受けたこともある。でも、心の底では上位に入ってちょっとだけ校則違反のメイクをしたり、スカート丈を短くしたり、きらびやかな格好をして、楽しんでみたい気持ちがあった。

 底辺の子たちはアニメや漫画のオタク趣味の子が多く、試しに借りて読んでみるも、私にはさっぱり理解できなかったが、とりあえずこの子たちは私を攻撃しない。上位の子たちから時折嘲笑されながらも息を潜め、なんとか毎日を過ごしていた。底辺にいることが恥ずかしかった。年頃なので、上位の子たちはみんな恋愛をしている。しかし、底辺の私には恋愛をする権利はないと思っていた。
 
 進学のため、18歳で親元を離れて上京した。この地には、私がスクールカースト最底辺だったことを知っている人はいない。私は生まれ変われるのだ。清々しかった。楽しい学生生活が始まった。女子大だったが、変なカースト制度なんてない。群れたい人は群れているし、一人で行動したい人は一人で行動している。自由を謳歌して、エクステをつけたり、母親が嫌がりそうな109系のギャルっぽい服を着て濃い化粧をしていた時期もあった。

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