有村藍里 整形告白に見る芸能界向きのメンタリティ

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「早く人間になりたい」という決め台詞といえば、「妖怪人間ベム」だ。今年新作アニメが制作されるとのことだが、紅一点のベラが過去作と似ても似つかぬ美少女になっていて驚いた。同様に「ゲゲゲの鬼太郎」の猫娘も、いつのまにかキラキラした瞳の8頭身になっている。ともに人外の存在ながら、ルックス至上主義の現代人に合わせて作り変えられたかのような有様に、原作ファンとしては哀しみがある。

 こうして妖怪たちがこぞって美人になっている時代、人間界でも美容整形は昔ほどタブー視されなくなってきたようだ。整形だけでなく、それを告白することにも眉をしかめられた時代もあったが、今では「それで自分に自信がもてて明るくなれるのならば良いのでは」という肯定的な意見も多い。

 そして有村架純の姉・有村藍里も整形を告白し、大きな話題を呼んでいる。本人が手術を受けた理由は、口元にコンプレックスがあったことや、ネットでの容姿に対する誹謗中傷に悩んでいたからだという。

 彼女の手術に密着したドキュメンタリー番組は高い視聴率を挙げたようだ。彼女の容姿を袋叩きにしていた人々はどこへやら、ネットでの反応はおおむね好意的なようである。一方で、「妹にはない魅力を大切にすべきだったのに」、「整形依存になるのではないか」「そもそも芸能界に向いていない性格では」というコメントも見受けられる。

 整形後の顔は驚くほど有村架純に似ている。逆にここまで似ているからこそ、これまではわずかな違いで「ブス」と呼ばれる自分と、「可愛い」ともてはやされる妹との落差に悩んでいたに違いない。妹にはない魅力がある、と言われても、芸能界は人気商売だ。自分ならではの良さを知っていたとして、本人以上に世間が評価してくれなければブレイクは難しい。むしろ彼女が直面したのは、わざわざ妹の美しさと比較して容姿をけなされる地獄だった。彼女のニュースが出るたび、ネットのコメントはほぼ9割が「売名行為」と「ブス」という言葉で埋め尽くされていたように記憶している。あまりの中傷に、笑うことが怖くなったと語っていた彼女。今でこそ「前の顔が好きだった」「前の顔をキレイだと思っていた」という反応も多いが、あの頃の彼女にもっとそういう声が届いていたら、と歯がゆい思いすらある。

「芸能界に向いていない」と心配される彼女が、芸能界向きだと思うワケ

 それでも彼女自身、見た目でダメならキャラで爪痕を残そうと頑張った時期もあったのかなと思う。ゴキブリのキャラに似ていると言われているとバラエティで語ったり、容姿批判に悩み、歯茎を削る矯正を公表したこともある。でも、明るい自虐キャラの代名詞、となるまでは行き着けなかった。少し前には恋愛リアリティショーに出演し、等身大の姿を見てもらう戦略に出たものの、優しい性格は伝わったが強い存在感までは出せなかったようだ。芸能界で自分は何を売りにしたら良いのだろう?と絶望したのではないだろうか。

 こうした彼女の運や華の無さ、色々考えすぎてしまう性格を「芸能界に向いていない」という人がいるのもわかる。「一般人ならキレイな部類なんだから芸能界にこだわらずとも」という反応もある。一般人として美しい体に精神を合わせるか、それとも人気芸能人になりたい精神に体を合わせるか。彼女は後者をとったのだろう。芸能人として可愛くなりたい、売れたい、だからそれに見合う体に変えたいと。

 きっと反論もあるだろうが、わたしはその思いの強さこそ芸能界向きだと感じた。身の丈を自覚して生きることもできるけれど、でももっと華々しい場所で輝きたい、という野心と行動力。

 怪物たちも8頭身美少女へ描き直される現代。だが、そもそも芸能界は今も昔も異形の居場所である。飛び抜けた美しさ、途方もない才能、人並み外れた自意識。言葉を選ばずに言うならば、何かしら“化け物”のようなものを持つ人間でなければ生き抜けない世界。有村が見せたすさまじい美へのコンプレックスとガッツは、ある種芸能界向きとも言えるのではないだろうか。ブログでは「これからも髪型やメイク、ファッションも勉強して自分に合ったものを見つけていきたい。挑戦したい」と書いている。今度こそ妹の影にからめとられることなく、自分なりの魅力が花開くその時まで、芸能界をたくましく生き抜いていってほしいものである。

(冨士海ネコ)

2019年3月7日掲載

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