早大スーフリ事件「和田サン」懺悔録 女の子の一人や二人……元凶は「歪んだ優越感」

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未だ賠償できず

 自分が「裸の王様」だったと思い知らされたのは逮捕後ですが、周りが「和田サン」と持ち上げるのは、別に私の人柄を慕っているのではなく、旨みがあるからだろうとは感じていました。当時の関係者とは全く連絡をとっておらず、今後そのつもりもありません。
 
 起訴されてから被害者の調書を差し入れてもらい、拘置所で初めて読みましたが、そこには何の落ち度もない女性たちが、私のしたことで「食べては吐いてを繰り返している」「満員電車の中で過呼吸になった」などと綴られていました。今の私から見れば、当時は決して深い理解ではなかったものの、少なからずショックを受け“こんなに苦しんでいるのか”と、居たたまれない気持ちになったのです。それでも結局、私の事件を担当した弁護士も、被害者の連絡先については検事から教えてもらえず、刑務所から手紙を書くことができませんでした。

 当然のことながら被害者の方々には示談交渉などを拒まれ、賠償金を支払うといった段階には至っていません。

 現在も損害賠償を求める裁判などは起きていませんが、毎月何万円ずつかお支払いするという「形」を伴った贖罪ができないままでは、かえって私の気持ちは収まりません。

“和田のような鬼畜とは、金輪際関わりたくない”とのお気持ちはもちろん承知しています。その上でもし、私の出所を知った被害者の方が新たに賠償金を求められるのであれば、分割払いになるとは思いますが、誠実に対応するつもりです。

 今は1人暮らしで、父母や兄弟とは一切、連絡をとっていません。特に父は、私が逮捕された後「出所したら息子を殺す」と取材に答えていたと聞きましたから、とても気が重いのです。

 これまで私は、あまりに色々な人を傷つけてきました。今は逆に、人と接し、深く関わることで、もしやその人を傷つけてはいないかと非常に臆病になっています。よく「死んでお詫びを」と言いますが、それでも反省の気持ちを表すには不十分で、薄っぺらな言葉だと思います。だからせめて、今後の生き方で示していくしかありません。

週刊新潮 2019年2月21日号掲載

独占手記「刑期を終えた『スーフリ事件』主犯『和田サン』懺悔録」より

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