「なおみちゃんには強い大坂の血が流れてる」 親族語る“豪傑で知られた曾祖母”の存在
夫婦喧嘩でも…
こうした恐怖に怯えながら、終戦翌年の4月、海の氷が溶けた頃を見計らい、大坂家は夜陰に紛れて船で根室に脱出する。
「灯りをつけたらソ連兵に見つかるので、真っ暗ななか船を漕いだ。久しぶりに使った船だったので水が入ってきてしまい、桶で掻(か)き出しながら必死に根室を目指しました。後で聞くと、島に残った人たちの中にはシベリアに連れていかれて命を落とした人もいたそうです」(幸子さん)
みつよさんの四女の杉本昌子さん(80)が後を受ける。
「着のみ着のままで船に乗り込みました。4月とはいえまだ寒くて、船に持ち込んだルンペンストーブ(昭和初期に北海道などで普及したストーブ)にあたっていたことを覚えています」
決死の逃避行で根室に戻った大坂家は漁業に従事し、やはりみつよさんが一家の発展のために奔走した。
「母はとにかく男勝りで利(き)かん気な人でした。海の男たちが喧嘩していると、『やめねえかあああ』と怒声をあげて叱っていましたし、父の作太郎と夫婦喧嘩になった時も殴りかかるのは母のほう。度胸も人一倍で、ロブスターを外国の海まで獲りに行って、船が捕まり国際問題になったこともありました。『負けるもんか』が母の原動力。くよくよせずいつも前を見ている人でしたね」(六女の河野(かわの)良子さん =71=)
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