團十郎襲名決定で、“撮り鉄”や“乗り鉄”が大注目する市川家“特別列車”とは

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役者だけでなく、車両も代替わり

 十一代目市川團十郎は、高い人気を誇ったことで知られる。特に襲名前の九代目市川海老蔵の頃、女性ファンの間では「海老さまに悪い」と“海老断ち”が流行。築地の魚市場や寿司屋、天ぷら屋で海老が売れなくなったとの報道が残っているという。

 だが十一代目を襲名してから僅か3年後の65年、胃がんでこの世を去るという悲劇が起こる。

 父が他界した時、長男の堀越夏雄は、58年に襲名した六代目市川新之助を名乗っていた。海老蔵を襲名していなかったという事実が、どれほど急逝だったかを物語る。

「歌舞伎 on the web」に掲載されている「歌舞伎俳優名鑑 想い出の名優篇」の「市川團十郎(十二代)」から該当部分を引用させていただく。ちなみに執筆者は、歌舞伎に関する著作でも知られる元NHKアナウンサーの山川静夫氏(85)だ。

《昭和37年の父十一代目團十郎襲名当時は、成田屋一門は順風満帆だったが、わずか三年後に「十一代目の急逝」という第一の試練が待ち受けていようとは……弱冠十九歳で大きな後盾をなくした新之助はただ一人、きびしい歌舞伎界の荒波に耐えることになる。
「セリフがよくない」と誰もが前途を心配した新之助の最も危うく見えた時代だったが、辛抱強く努力して、薄皮をはがすように欠点を一つ一つ克服し、精進を続けた。先輩たちからも「あの子は教え甲斐がある、真剣に人の言うことを聞く」と、信頼を得るようになり、昭和44年十代目海老蔵、昭和60年十二代目團十郎襲名、と力強く芸を高めていった》

 父の死去から4年後、六代目市川新之助は69年、まずは十代目市川海老蔵を襲名する。そして京成は、海老蔵号を運行させたのだが、使用車両や運行ダイヤなどの記録は確認できなかった。

 次に85年、十代目市川海老蔵は、長男の堀越寶世(たかとし)と共に襲名を披露する。父は十二代目市川團十郎、子は七代目市川新之助となった。ちなみに寶世は77年生まれ、当時は青山学院初等部に通う小学生だった。

 親から子へと代々芸が受け継がれていく。歌舞伎における醍醐味のひとつだ。一方「團十郎・海老蔵号」でも使用される車両が刷新されていくのが面白い。今回の團十郎号は初代AE形、つまり初代スカイライナーが使われたのだ。

 更に興味深いことがある。團十郎の襲名は上にある通り85年に行われ、4月から6月の3か月間、歌舞伎座で襲名披露公演が行われた。

「ところが、この團十郎号は襲名前年の84年10月に運行されたという記録が残っています。どういう理由があったのか、まるで歴史ミステリーのようですが、残念ながら、記録を確認することはできませんでした」(同社)

 そして98年からは、成田山の開基を記念する團十郎号がお目見えする。この時は2代目のスカイライナーが使われた。更に2004年5月、長男の七代目市川新之助は十一代目市川海老蔵を襲名。今度は海老蔵号が京成上野を出発して成田へ向かった。

「この頃になると、記録が残っています。これも興味深いことですが、04年の海老蔵号は臨時列車ではなく、通常のスカイライナーでした。普通のお客さまも乗車していたと思われます」(同社)

 十一代目市川海老蔵の襲名前後、父の十二代目市川團十郎が白血病を発症する。逝去は13年。山川静夫氏は前掲の記事で《これからの円熟の芸をファンは期待し、十二代目も新しい歌舞伎座の完成を楽しみにしていた矢先の死は、痛恨の極わみだ》と記した。

 十一代目市川海老蔵は、09年にフリーアナウンサーの小林麻央(1982~2017)と結婚するが、妻の麻央は17年に乳がんで他界する。

 翌18年、海老蔵は成田山開基1080年祭を記念する「成田屋号」に勸玄くんと共に乗車する。使用された車両は3代目のスカイライナー。山本寛斎がデザインしたことでも知られている。

 一般客や後援会の関係者など含めて、約170人が乗車したという。海老蔵と共に成田へ移動し、成田山での奉納舞踊を見学できるツアーも販売された。席の違いから2万2千円から1万5千円まで4種類が用意されたそうだ。

 こうして曾祖父から始まり、男たちが4代にわたって京成の特別電車に乗車した。同社も「まずは襲名についておめでとうございますと申し上げます」と感慨深げだ。

「弊社が成田山新勝寺、市川家、松竹といった皆さんとご縁があるということを、これからも大切にしていきたいと考えております。團十郎号や海老蔵号を運行することは、沿線の方々にも喜んでいただけるはずです。市川家の皆さんが4代にわたって乗車いただいたことは、我々の事業がお客さまに支えていただいた歴史を証明するものと受け止めています」(同社)

 これだけの歴史を有する“特別列車”だ。今回の襲名では「いつ走るのか」と矢も盾もたまらないという方もおられるだろう。同社は「残念ながら未定です」と話す。「決まり次第、必ず広報いたします」とのことだ。

週刊新潮WEB取材班

2019年2月24日掲載

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