「大坂なおみ」も知らないファミリー・ヒストリー 母方のルーツに北方領土
“海に入って死のう”
こうした苦しい暮らしをしながらも、
〈あの赤紙事件(注・差し押さえのこと)以来私の気持の中には「今に見ておれ、きっと仇をとってやる」というきもちがずーっとあった〉(自伝より)
というみつよさんは、一家の生計を支えるために、
〈私が櫓を押して海に出るんです。/(中略)海老とかカレイとかコマイなどの小魚類を刺し網を使ったりして獲りました。19歳くらいまで毎日毎日そんな生活の繰り返し〉(同)
みつよさんの長女の三浦幸子さん(88)が振り返る。
「病院に行くにも、根室から来る定期船を待たなければならず、それも冬になると海が凍って途絶える。雪と氷に閉ざされる11月から2月までは、家に籠(こ)もりっきりの生活でした」
そんな厳しい日々を送りながら、「今に見ておれ」精神で、みつよさんたちは勇留島でも島唯一の雑貨店を開業。どうにか軌道に乗ったところで終戦を迎える。
「島にはラジオのある家がほとんどなく、母(みつよさん)は玉音放送を聞きに行き、帰ってきて戦争に負けたと教えてくれました。続けて母は、『殺されるかもしれないから、その前に皆で数珠つなぎになって海に入って死のう』と言いました。ソ連兵に殺されるくらいなら、その前に自分たちで……そう思っていたんだと思います」(同)
一家心中まで考えたというみつよさん。実際、戦後に待ち受けていたのは、ソ連兵による恐怖だった。
(2)につづく
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