「大坂なおみ」も知らないファミリー・ヒストリー 母方のルーツに北方領土
曾祖母の自伝
なおみが活躍する度(たび)にワイドショーに出演し、好々爺然とコメントする祖父の大坂鉄夫さん(74)の姿はお馴染(なじ)みになっているが、彼は北海道の根室漁協の組合長を務めている。その娘の環(たまき)さん(48)と、ハイチ系米国人のレオナルド・フランソワ氏(52)との間の次女がなおみだ。ここまでは広く知られた話である。
今回さらに大坂家のファミリー・ヒストリーを掘り下げるわけだが、前出の良子さん(六女)、そして鉄夫さん(次男)の母親が、勇留島に帰りたがっていたという大坂みつよさんだ。なおみの曾祖母にあたる。
2004年に94歳で亡くなったみつよさんは11人の子供を出産し、漁業関係者の間では「大坂のかあさん」と呼ばれ、その豪傑ぶりで鳴らした。それもそのはず、彼女は苛烈な体験を経(へ)て生き延びた、北方領土の元島民だったのである。
みつよさんが残した自伝『勇留島に萱草(かんぞう)の花が咲く頃』(以下、自伝)によると、彼女の実家はもともと根室で雑貨店を営んでいたが倒産し、家財道具に赤い紙を貼られて差し押さえられ、一家は逃げるように勇留島に移住する。1921年のことだった。
〈もちろん電気もないランプの生活。/入り口には戸がない〉
〈火の気のない夜は、息が凍って布団の襟に霜がガチガチになっている〉(いずれも自伝より)
といった具合に、一家は極寒での貧しい生活を強いられた。
「セーターの糸をほどいてそれを湯気にあてて、また他のものを編み直したと母から聞きました。島では毛糸が貴重品だったから、何度も再利用していたんでしょうね」(良子さん)
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