処刑されても続く「オウム井上元死刑囚」の再審 なおも戦うワケ
発信記録の開示
伊達弁護士が続ける。
「井上氏は、13人いたオウム事件の死刑囚のうちで唯一、一審では無期懲役だったのに、二審で死刑という異なった判決を受けています。地下鉄サリン事件と假谷さん事件が大きなポイントですが、假谷さん事件で、一審では“逮捕監禁”に留まるとされたのに、二審では“逮捕監禁致死”でした」
地下鉄サリン事件に関する詳細は割愛するが、地下鉄サリン事件と假谷さん事件それぞれで罪が格上げされた結果、死刑となった。再審請求の“眼目”は假谷さん事件の事実認定だ。
「上九一色村で假谷さんを拉致していた中川智正元死刑囚は、“井上に電話をかけに行ったのは午前10時45分から11時ごろ。目を離したこの15分ほどの間に假谷さんが死亡していた”と証言しています」
対する井上証言は“電話があったのは午前8時台”。
「中川証言のように、東京にいた井上氏が11時前に電話を受け、車で上九一色村に向かったとします。となると、いたことが証明されている時間、14時30分ころの到着は到底不可能です。当日は未明からの大雪で首都圏の道路交通網は混乱していたのですから」
中川元死刑囚はなんらかの理由で電話の時間を誤魔化していたことになる。これらの矛盾を突きつけ、生前の井上元死刑囚と伊達弁護士は再審請求を申し立てた。そして、“逮捕監禁致死”とされた判決を覆すはずの井上元死刑囚の携帯電話の発信記録が、昨年7月下旬までには開示されることになっていたのである。だがそれを待たず、死刑は執行された――。
『オウム死刑囚 魂の遍歴』の著書があるノンフィクション作家の門田隆将氏はこう語る。
「検察による新証拠の開示が決定し、次回の進行協議の期日まで決まっていたのに問答無用で死刑を執行したことに呆れました。執行の日、上川陽子法相は、“鏡を磨いて、磨いて、磨き切る心構えで、慎重な上に慎重を重ねて執行を命令した”と発言しましたが、実態はまったく異なります。法務省は自ら刑事訴訟法を踏みにじったのです」
両親の再審請求によって、電話の発信記録のみが開示された。いま、次々と中川証言の矛盾が浮き彫りになっているという。
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