女にもモテた「岡留編集長」 棺を蓋いて「噂の眞相」
硬軟取り混ぜたスクープを連発し、2004年に休刊した月刊誌「噂の眞相」。1979年の創刊から25年間、編集長を務めた岡留安則氏が1月31日、肺がんのため泉下の人となった(享年71)。
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“学生運動出身”で、トレードマークのサングラス姿から、岡留氏自身を恐れる人々も少なくなかった。だが、「噂の眞相」の元副編集長で、ジャーナリストの川端幹人氏によれば、
「実は自分も、他の編集部員も、岡留から怒鳴られたことは一度もありませんでした。経費は青天井、副業もOKで、年収1千万円の記者もいたほど。しかも、編集会議などはほとんど開かず、売れ行きも気にしない。検察から起訴されれば、“公訴記念だ”と言っては飲み会を開く。覚悟があるだけでなく、信じられないくらい図太い人でした」
「噂の眞相」でコラムを執筆していた、アイドル評論家の中森明夫氏も岡留氏の意外な一面を明かした。
「『噂の眞相』編集部の近くにバーがありました。ある時、店へ行くとカウンターで美人が一人で飲んでいた。しばらくして、彼女の横に座ったのが岡留さん。こちらを見て“しまった”という顔をしていました」
岡留氏の“密会現場”を目撃したわけだ。
「その後に“あちらのお客様からです”と、映画のワンシーンのようにバーテンからシャンパンの入ったグラスを出されました。岡留さんの方を見ると、ニッと笑っている。“口止め料”だったのです。そんな光景を何度か目撃しましたが、すべて別の女性でした」
また、執筆者の一人で、ゴルフ仲間だった早稲田大学名誉教授の大槻義彦氏は、
「独身で、お金を持っていて、ルックスも良い。それはモテますよ。煙草を沢山吸い、朝までといわず、昼まで酒を飲む。運動不足なので、体力作りのためにゴルフを教えると、僕より熱心になった。70歳になったら、一緒にゴルフをする約束だったのに果たせず残念です」
権力者を厳しく追及した岡留氏も、部下や美女には別の顔を見せていたのだ。