世界が注目「1住宅=1家族」に代わる「地域社会圏」という共同体
2018年11月初旬、東京都目黒区の住宅地に立つ「食堂付きアパート」を、フランスの建築・不動産関係者40人あまりが視察に訪れた。
「食堂付きアパート」は賃貸5戸の小さな建物ながら、デザインコンセプトの新しさや空間構成の巧みさなどが評価され、2014年度のグッドデザイン金賞をはじめ数々の賞を受賞。2016年の「ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」で日本館の展示作品の1つに選ばれたことを機に、世界の建築関係者の注目も集めている。
設計を手掛けたのは、建築家で法政大学江戸東京研究センター客員准教授の仲俊治氏(43)と建築家の宇野悠里氏(42)だ。
食堂は「中間的な領域」
「食堂付きアパート」の立地は活気ある武蔵小山商店街の近く。若い世代の創意工夫が地域をより活性化させてくれることを期待し、創業支援を目的に建てられた。賃貸5戸ともSOHO(スモールオフィス・ホームオフィス)対応の間取りで、半地下にシェアオフィス、1階に10坪の小さな食堂を併設している。
各住戸は玄関側に「スタジオ」と呼ぶ開放的な空間があり、ここが仕事場となる。寝室や洗面浴室などのプライベートな空間は、スタジオの奥に配置。各住戸の玄関前はテラスで、住人は仕事場の看板、植栽や屋外用の家具などを置くことができる。食堂はアパート内からも、外部からも出入りできるように出入り口が2つある。
クライアントはこの地域に長く暮らす父子だ。商店街の会長だったこともある父と、その商店街マインドを熱く受け継いだ息子には、「地域のためになるアパートをつくりたい」という思いがあり、新しい試みとなる建物を望まれた。クライアントと一緒に考えていくうちに、仲氏らは「住む場所と働く場所を混在させ、外部に向かう意識を住人が自然に持つようなアパートにしたらどうか」と考えた。
「個人ベースの仕事、あるいは、趣味や特技をスキルアップさせての小商い。そういったことが可能な場所として各住戸に設けたスタジオは、住宅と外部の中間にあり、内向きにも外向きにも使えます。食堂もアパートにとっての『中間的な領域』で、人や地域をつなぐ役割を担います」
1つの建物にSOHO、シェアオフィス、食堂という用途の複合、また、大小の「中間的な領域」を組み込むという形の複合を有意義なものとするために、仲氏らは建物というハードはもちろん、運営の仕組みなどのソフト面もデザインした。
「食堂の大きさがどれくらいなら自分たちの手で運営できるのか。食堂のシェフがどのような役割を果たしてくれたら、建物のオートロックが不要になるのか。機械やアウトソーシングに頼らず、自分たちの生活環境を自分たちでマネジメントできるように、部屋の大きさや機能面での配置、運営の仕組みを並行して考えました」
例えば、昼食や夕食の時間帯以外は、SOHO住戸の住人やシェアオフィスのワーカーは、人数分のドリンク1杯で食堂を打ち合わせスペースとして使える。食堂にとっても多少の収入になるし、人影があるのは店の印象もいい。また、シェフが食堂の店先を掃除することが、アパートのエントランスをきれいに保つことにもつながる。
約5年前に住人たちの生活が始まってからは、共用廊下で週末に朝ご飯を食べたり、そのときに前を通る他の住人と会話を交わしたり、皆が集まってバーベキューをしたり、といった場面が見られるという。3階の菜園で何を育てるかも皆で相談して決めている。仲氏は「地域の人に向けて住人が縁日を開催するなど、設計者の発想を超えて、1つの共同体が育っています」と言う。
洗濯機は各住戸内に置くことができるが、住人は皆、2階の共用廊下に置かれた洗濯機を使っていて、その場所も日常的な交流の場になっている。
「住人の約半数がシェアハウスの経験者。他人が家の前を通ることや、建物全体を使って生活することに抵抗がなく、この状況をすんなり受け入れてくれました」
建物の意図をよく理解するクライアントが自ら面接して賃借人を決めていることも、うまくいっている理由だろう。
家の中にある「中間的な領域」
仲氏と宇野氏は夫婦で東京都目黒区の事務所併用住宅に暮らし、設計事務所を営む。両氏が自ら設計を手がけたその建物は長屋形式で、仕事場付きの賃貸住宅を1階に2戸併設する。つまり自宅を含めて3戸とも職住一体型で、南側の道路に面して入り口があり、各戸内は道路から最も近いところに仕事場、最も遠いところに寝室などのプライベートな場所がある。
夫妻と子ども2人の住まいは2階で、これは賃貸部分の上階に位置する。設計事務所は1階。吹き抜け空間の中央に打ち合わせしたり図面を広げたりできる大きなテーブルを置き、奥ではスタッフが模型をつくり、日中だけではなく夜にかけても、ほぼ常に誰かがいる。その“人がいる”気配が、ガラス張りのドアや大きな窓を通して外部に伝わる。
「この家に引っ越して1年少し経ちました。1階でスケッチを描いたり打ち合わせをしたりしていると、前の道路を行き来する近所の人がチラチラ見ている。それで、入り口の前に設けた目隠し兼花壇に水をやるために外に出たときや週末に話しかけられるんです」(仲氏)
「家に帰ったらお母さんがちょっと留守をしていて、鍵を持っていないから家に入れない、と近所の子が来たことがありました。人のいる気配を感じて、入りやすかったのでしょうね」(宇野氏)
建築家は自身の思考の提案や実践の場として、自分の家を設計することが多い。両氏もその例に漏れず、子育てしながら仕事をすることに加え、地域の人たちと関わりながら暮らす生活を実現することを、設計の際は特に考えた。地域の人たちと関わりながら暮らすうえでは、「外向きの意識を持てる『中間的な領域』が家の中にあることが大切。僕たちの家では仕事場がそれに該当します。外部に対して少しでも開いた場所があれば、近所の人も近寄りやすい」と仲氏は話す。
「この家を通して、居住専用住宅を見直そう、住む場所に働く場所を組み込むと生活が変わりますよ、ということを伝えたかったんです。総務省統計局の調査によると、日本の住宅は98%が居住専用住宅で、僕たちの家のような併用住宅はわずか2%しかない。これは、多くの人は住む場所と働く場所が切り離されているということ。住む場所と働く場所がきっぱりと分かれるようになったのはこの70〜100年ほどの間のことなのに、98対2は極端だと思いませんか?
居住専用住宅は近代化社会における住宅の1つの到達点ですが、都心のマンションや郊外の戸建住宅を見ればわかるように、プライバシー至上主義のもとでつくられていますから、地域との関わりが自ずと希薄になります。都市部では戦前まで生活の場と生業の場が近接していて、ゆえに地域との関わりも密接でした。とはいえ、その昔に帰ろうというのではありません。情報技術が発達した現代なら、もっと多様な生活と生業があってしかるべきではないかと考えるのです」
先述の「食堂付きアパート」では、軒先のスペースを使って定期的にマルシェを開いていたことがあり、近隣の住人が手づくりのパンや観葉植物、食器など様々なものを売っていたという。コーヒーが好きなアパートの住人がマルシェにコーヒー屋台を出していたこともあった。場所さえあれば、生業の意味は広げていける。
「やりがいがあり、自己実現につながることは、内発的だからこそ継続性があります。設計中は手探りでしたが、『地域社会圏』の研究会に参加して得た知見をもとに、職住混在の生活スタイルや、地域内で小さな経済が循環する住み方と、それが実現できたときの効果には着目していました」
コミュニティの中にあるもの
「地域社会圏」というのは、仲氏が師事した建築家で、現在は名古屋造形大学の学長も務める山本理顕氏(73)が、かねてより提唱する概念だ。山本氏は住宅を「大きな共同体の中の小さな共同体」と位置付け、自前の社会インフラや経済活動とともにあるコミュニティと、住人が互いに助け合う生活を、住宅の設計を工夫することで実現できないか、と考えている。
この概念は現代の一般的な「住宅」への疑問から生まれた。山本氏は次のように話す。
「今の日本の住宅は、戦後に定着した『1住宅=1家族』という住み方を前提につくられ、社会構造もこれを前提に組み立てられています。『1住宅=1家族』はヨーロッパで産業革命を機に発明された賃金労働者のための住宅をモデルにしています。その住宅ではプライバシーが充分に守られていて、人々は喜んでこれを受け入れました。『1住宅=1家族』は資本家や国家にとっても好都合でした。同じような家族が再生産され、労働力を継続的に確保でき、経済成長を促進すると同時に、国民を管理しやすいからです。
『1住宅=1家族』の浸透により住宅は働く場所から切り離され、私生活のためだけの場所になりました。そして住宅の中にこそ幸せがあると誰もが信じ込むようになり、住宅の外側との関係よりも、内側の快適さを求めるようになりました。実は住宅の中に閉じ込められてしまったようなものなのに、建築家をはじめ住宅を設計する側も、その点には無自覚だったと思います。
結果として大きな共同体、すなわち地域のコミュニティは失われ、核家族という小さな単位が国家を構成する核となり、育児も介護もすべて住宅の内側で家族が解決しなければならなくなりました。しかし今、それが破綻を来していることは明らかでしょう。『1住宅=1家族』に代わる新しい住み方が求められています」
山本氏は1973年から建築家としての活動を始め、「埼玉県立大学」「公立はこだて未来大学」「北京建外SOHO」「横須賀美術館」など、これまでに国内外で多くの建物を設計している。一方で、住宅やコミュニティについての考えを頻繁に発表し、著書も多い。学生時代から住宅や住み方といったものに関心を持ち、世界各地の集落調査にも赴き、住宅を単体ではなく、コミュニティの中にあるものとして見る視点を学んだことが、住宅に対する考え方のベースにあるという。
設計活動を通しても、山本氏は住宅に対する考え方を明らかにしてきた。その一例が、1990~91年に完成した「熊本県営保田窪第一団地」だ。この公営集合住宅は、住戸の内側の幸福だけを追求するような集合住宅でいいのか、という疑問が設計の出発点となっている。
「それまでの集合住宅の設計理論は、日照とプライバシーの確保、そして平等であることを重視していて、実は今も変わりません。そうではなく、住人が相互に関わり合うことができる集合住宅、もっと言えば、住人がお互いに助け合って住むのが当然であるというような集合住宅を考えたいと思ったのです」
玄関ホールはガラス張り
完成した建物は中庭を囲んで、3つの住棟をコの字型に配置。その中庭には各住戸を通過しないと入ることができない。つまり中庭は住人の占有スペースだ。そのために道路側と中庭側にそれぞれ階段を設けている。
各住戸の間取りは、中庭に面してガラス張りで開放的なLDKがあり、道路側にある寝室とは渡り廊下のようなブリッジで結ばれている。向かい合う住棟では、中庭を挟んで反対側の住戸のLDKの様子が窺えるが、昼間は外に比べて中が暗いから見えないし、夜もカーテンを閉めるから見えることはない。
「ガラス張りのLDKが中庭を囲んでいるのが重要。それがこの中庭の共同性をつくると考えました」
このような計画によって、中庭が住人のコミュニティを育む空間になり、同時に、住人の意志によって使われ、管理される空間になることを目指した。
しかし、住人占有の中庭がそのままコミュニティを育む空間になるかというと、「そう単純ではなかった」と山本氏は話す。
「中庭がコミュニティ空間となるためには住人による自治が必要なのですが、公営住宅では、住戸を一歩外に出れば、“官”が管理する空間となり、官が決めたルールに住人は従わなくてはなりません。また、『1住宅=1家族』の密室性の高い間取りのままでは、彼らの意識が住戸の外側に向かないのです」
この後も山本氏の試行は続いた。そのなかで、韓国で設計した2つの集合住宅では、「住人による共有スペースの自治」が実現されている。
1つは、ソウル市から車で1時間ほど離れたソンナム市に建てられた「板橋(パンギョ)ハウジング」。クライアントは韓国土地住宅公社だ。この公営集合住宅は比較的裕福な人々に対してつくられた分譲住宅で、山本氏は全100戸を9つの集合体に分け、1つの集合体が小さな広場を共有し、かつ、各住戸の玄関ホールがすべて、その小広場に面するように設計した。各住戸は駐車場を含めると基本は4層の構成で、地下の駐車場からのエレベーターは小広場に着く。グループ内の11〜12戸の住人たちが小広場を中心に生活するような配置だ。
玄関ホールはかなり広く、様々な用途に使える。このホールは四方がガラス張りで、外から中が丸見えになるので、写真が趣味の人は写真ギャラリーにしたり、ミニバーを設けて応接室として使ったり、あるいはカフェのような場所にしたりする人もいる。さらに、共有スペースである住戸前の小広場を、木デッキと可動式のテントを設置して快適なテラスにしていたり、プランターを置いて樹木を生い茂らせたり、住戸と住戸の間に椅子とテーブルを置いていたりする人もいるという。
「住人同士が話し合って合意すれば、共有スペースも自由に使えるそうです。日本の公営住宅に比べるとずいぶん自由で、私が当初思っていたよりも遥かに快適な使い方を、暮らしている人自身が見つけて実現しています」
共同庭にキムチの壺
もう1つは、ソウル市内に建てられた低所得者層向けの賃貸集合住宅「ソウル江南(カンナム)ハウジング」だ。1000戸以上と大規模だが、各住戸は小さい。敷地内には住棟が8列配置され、2列ごとに向かい合う。2棟の間は共同の庭で、各住戸の玄関はその庭に面し、ドアは透明なガラスだ。そのため最小の住戸でも、内部をダイニングルームと寝室に分け、ダイニングが庭側にくるように設計した。
「玄関の前は共同の庭で、庭にいるのは同じ集合住宅内の知っている人たち。不特定多数が行き交うわけではありません。高齢者の単身住まいが多いこの集合住宅では、共同の庭を積極的に使ってもらうためにも、ダイニングが外に向かって開いているほうがいいと思ったのです」
玄関ドアを透明にすることは、クライアントの韓国土地住宅公社も当初は難色を示し、目隠しシートを貼るべきだという方向になった。しかし、工事が終わっていた住戸で実際に試してみたところ、目隠しシートを貼った玄関ドアは住戸内から見るとかなり閉塞感があった。そのため公社の担当者は、「確かに透明なほうがいい。ブラインドを内側に設置することにして、開けるか閉めるかはそれぞれに決めてもらおう」と考え方を変えたという。
また、各住棟は14階建ての高層部分と4階建ての低層部分からなる。低層部分の屋上には菜園を設けた。山本氏は「この菜園が大人気で、住人の多くが自由に野菜をつくっています」と話す。韓国の公社は日本と違い、菜園の運営は自分たちで考え、自主的に管理してくれればいい、という考えで、今や屋上だけではなく、向かい合う住棟の間の共同庭も菜園のようになりつつあり、キムチを漬ける壺を置いておく人もいるなど、生活のなかで生き生きと使われている。住人の生活が住宅の内側だけに留まっていないのだ。
マイノリティのために公共の土地を
冒頭で紹介した「食堂付きアパート」は、2017年にドイツで開かれた「Together! The New Architecture of the Collective」という、これからを示唆する集合住宅を集めた展覧会にも招かれた。仲氏は「核家族向けにつくられた居住専用住宅を変えていこうという動きは、世界的なものだと感じます」と語る。
「ドイツの展覧会に出展したときに、世界の先端的な集合住宅を見たり、話を聞いたりしました。見学した中で印象に残っているのが、スイス・チューリッヒの集合住宅です。中庭に面して、外部の人も自由に利用できるカフェがあり、それは同時にシェアハウスのキッチンでもある。このキッチンは言ってみれば、半開きのシェアスペースのような位置付けなんです。
もう1つは、スイス・バーゼルにある音楽家の卵のための集合住宅。ヨーロッパではマイノリティのためにこそ、公共の土地を使おうという考えが広く浸透しています。大きな音を出して練習しなければならない“音楽家の卵”も、いわばマイノリティ。彼らが気兼ねなく練習できるようにと、リノベーションにより練習場付きの集合住宅がつくられました。練習場は地域の人にも開放しているので、そこで楽器の演奏を教わったり、定期的に開かれるミニコンサートを楽しんだりできる。ある特技を持つ人たちが集まって住んでいることを利用して、地域の人との関わりやコミュニケーションが生まれていました。これも、生業や交流の場所を住宅の中に取り込んだから実現されたことです」
働き方改革などが叫ばれる昨今、自分の生活や、その基盤である住宅、住み方も見直してみているのはどうだろう。