20年前に「VR」「エコカー」「財政赤字」を予言 故・堺屋太一さんの『平成三十年』を読む

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物価高、円安は……

 マクロ経済面での予測では、当たり外れの落差が大きくなる。堺屋が作品の発表後、外したと自ら認めているのが物価高と円安の2点。『平成三十年』ではインフレの要因として資源危機によるコモディティー(商品)相場の上昇と円安が、円安の要因として日本の財政の悪化や産業の競争力低下などが挙げられており、このうち財政悪化や競争力低下といった国内要因についての堺屋の読みは当たっていた。

 ただ、資源価格も外国為替も国際市場で決まるため、国内のみならず世界全体に眼を配っていても、値動きの予想は非常に困難だ。資源価格の場合、現実の世界ではシェール・ガス/オイルの開発や産油国の減産調整の不調、国際金融危機による需要の低迷といった予見しづらい海外要因が目白押しだった。

 為替の予測が外れたことについて堺屋は08年に、「『円安』は、今のところ、米ドルとの関係では進んでいないが、他の通貨との関係では進んでいる」(「週刊朝日」08年7月25日号)として、元やユーロ、ポンド、豪ドルなどに対する円安を指摘していた。このうちユーロとポンドの対円相場は欧州金融危機やブレグジット(英国のEU離脱)騒ぎの影響で08年時点より下げているものの、元や豪ドルに対しての円安は続いているし、アベノミクスでの異次元金融緩和が続かなくなったときにハイパーインフレと超円安が起きると危ぶむ声もある。

 さて、堺屋の予測は行政や社会、教育、労働、医療・福祉、メディア、地域といったジャンルにも及んでいる。

◆省庁再々編:総務省や文科省、厚労省、経産省、国交省、環境省などを生み出した01年の中央省庁再編の後、再び再編が行われた。主人公が勤める産業情報省は、総務省から分離した旧郵政省が経産省と統合して生まれた省庁。織田首相はさらに抜本的な省庁再編を目指している――現実では01年の再編以降の変更は防衛庁が防衛省に格上げされた程度。ただ、厚労省や総務省などについては再分離などの再編説も出ている=△

◆社会の“後退”:守旧派の産情事務次官曰く、「今の風潮は太平洋戦争後の東京裁判と同じです。九〇年代のバブルの崩壊に懲りて、それ以前のよさを全部忘れてしまった」。日本では「昭和の末に戻れ」、米国でも「バック・トゥ・ザ・シクスティーズ」(60年代に戻れ)という黄金時代回帰論が一部で台頭している――日本での戦後否定、米国でのトランプ大統領誕生などに共通点がある。ただ、反知性主義などに関わるような予測はなし=△

◆労働組合への加入率:1割に満たない――労組組織率は16年6月時点で17・3%。ただ、この統計にはアルバイトなどがすべて反映されているわけではないため、単純な比較は困難=△

◆学校での規制強化:「資源危機後の教育改革で中学高校の規制が一段と強化され、校則も一層厳格に」。「所持品や読書傾向まで規制し、各学級には生活担当教師が置かれた」――校則・生活指導の強化は予想ほど進んでいないものの、国旗・国歌の強制や道徳の教科化など、教育の国家管理は強まっている=△

◆高等教育:文科省は大学の新設を禁止、「今ある大学は潰さない」護送船団方式。大学は画一化し、研究成果や独創的な学説のめったに出ない「卒業資格授与機関」に――大学新設は困難になっている一方で、潰れる大学は出てきた。日本の大学の教育・研究についての国際評価は悪化している=△

◆自費診療専門の医療機関:保険診療で増えた制約にとらわれない医療を目指すが、認可はまだ得られていない。サラリーマンの健康保険でも本人負担が3割に引き上げられていることなどから、自費診療でも保険治療との治療費の差はさほど大きくない――現実でも歯科や美容整形などでは増えてきた。ただ、サラリーマンや子供の本人負担率は低く抑えられていること、規制が厳しいことなどから、生死に関わりにくい診療科目では自費診療専門の医療機関はほとんどない=△

◆テレビ:BSやCSも合わせてチャンネルは300以上。ニュース専門局も一般化している――地上波、BS、CSなどのチャンネル数を合計して100を超えるのがせいぜいで、米国や韓国、台湾などを下回る。ニュース専門局はCSに5チャンネルあるが、既存の地デジ民放局や海外勢によるもので、国内の新規参入組はなく、普及も遅い=×

明治150年の難局

 教育や医療・福祉、メディアなどでは日本の規制は特にキツいとされる。そのキツさはこうした分野での堺屋の予測を検証していても再認識させられるし、規制に手を着けようとする現実の政治のレベルの低さもまた痛感される。安倍・加計学園問題しかり、働かせ方改革しかり。堺屋が小説の副題に込めた予言を「何もしなかった日本」から「ロクなことをしなかった日本」に修正したくなるのが情けない。堺屋の掲げてみせた「天下分け目の『改革合戦』」という希望も遠くにあるように見えてくる。

 もっとも、小説では大改革の機運が高まるのは平成29年の後半からで、その高まりを受けて総選挙が行われるのは平成30年。内閣改造にもかかわらず安倍内閣の支持率が低迷し、衆院選が遅くとも来年12月の任期満了までに行われることを考えれば、『平成三十年』の“絵空事感”は希薄になる。

 堺屋太一は小説の舞台を平成30年に設定した大きな理由として、この年が明治150年に当たることを挙げてきた。また、太平洋戦争の4年を間に置くと、維新から開戦までが73年、敗戦から平成30年までも73年となる点も大きいという。維新からスタートして73年、日本は列強の一角に食い込みながらも破滅的な戦争に踏み出した。敗戦以来72年、経済大国へと復興したものの、今度はバブルの崩壊と冷戦の終結で躓いて、今では国内外で大きな課題のない分野というのが見当たらないほどの難局にある。

 実のところ、『平成三十年』には外交や防衛、大災害、オリンピックや万博などについては、言及がほぼない。シミュレーションの範囲を外患や自然、国際イベントなどにまで広げると予測の振れ幅が大きくなるからだろうが、実際の日本は過去20年、北朝鮮や中国の脅威、ロシアの不実、米国や欧州の不安定、大震災と原発事故、東京五輪の開催権獲得などに揺れてきたものの、それで国の針路が急激に変わるような事態には直面していない。外交・防衛・災害などは予測の埒外に置くという『平成三十年』の選択はこれまでのところ正解となっている。

 そしてもうひとつ、堺屋が触れることを避けたのは天皇や皇室だったが、現実では奇しくも、今上天皇の退位/譲位によって平成30年は平成が終わる歴史の変節点となる。

 それでなくとも現実の平成30年=2018年はさまざまな節目が到来する年だ。すでに触れたとおり総選挙の年になる可能性が高いし、安倍首相が2020年までの改憲に引き続き本気であるなら、不可欠となる国会の発議も年内に行われる必要がある。経済面では、日銀の黒田総裁の任期が4月に切れる。アベノミクスの数少ない具体策だった異次元金融緩和の行く末が、ついに明確に見えてくる年だし、そもそも安倍政権=アベノミクスが終わることもありうる。

 海外に眼を向ければ、ロシアのプーチン大統領や中国の習近平国家主席が一応の任期末を迎えるほか、北朝鮮の核開発や米国のトランプ政権の行方、ブレグジットの進捗といった点でも大きな動きが出る年になる。

 そういうリアルな平成30年と並走する虚構の平成三十年。なんだか村上春樹の『1Q84』における現実世界とパラレルワールドのような捻じれ具合だが、“ああなっていたかもしれない日本”を疑似体験することで、“こうなってしまった日本”を見つめ直す体験をさせてくれるのが『平成三十年』という小説だ。つくづく、今こそが読みどきだと再確認したうえで、こんな願いも浮かんでくる――何年か先、平成の次の世になってから『××三十年』という、次の元号バージョンも、誰かまたしっかりした書き手に書いてほしいなぁ。

岡田浩之(おかだ・ひろゆき)
編集者・翻訳者。1967年生まれ。新潮社の国際情報誌「フォーサイト」で金融・経済・ITなどを担当後、フリーランスに。雑誌・書籍・デジタルコンテンツの制作に携わるほか、企業の社外取締役も務める。

新潮45 2017年9月号掲載

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