20年前に「VR」「エコカー」「財政赤字」を予言 故・堺屋太一さんの『平成三十年』を読む

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 2月8日に多臓器不全で亡くなった作家・堺屋太一さん(享年83)といえば、『団塊の世代』がその代表作に挙げられる。1976年に月刊『現代』で連載が始まった同作で描かれていたのは、80年代から99年までの“未来”。後に時代が作品に追いついた際には、その的中ぶりが話題にもなった。

 堺屋さんの予言の書はこれだけではない。97年から朝日新聞で連載された『平成三十年』は、まさに我々の生きる“今”を予測した物語だ。編集者・翻訳者である岡田浩之氏が同作を振り返った『新潮45』への寄稿を、今回、改めて掲載しよう。故人の慧眼に驚くはずだ。(※以下は17年9月号掲載『二十年前の未来小説・堺屋太一「平成三十年」を読む』より)

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 今年6月、霞が関の経済官庁で密かに、日本が円安を1ドル=300円まで進める場合のシミュレーションが始まった。来年の消費税率引き上げが難しいと予想されることもあり、経済政策は八方ふさがり。奥の手としての超円安誘導が検討されだしたことになる。

 7月には、中国の自動車最大手が日本に強く求めている国内販売チェーンの開設について、経済担当閣僚が年度内を期限に実現させると中国政府に約束した。この中国メーカーは日本の自動車トップ企業の買収さえ検討している。

 ……と読まされて、そんな情報、聞いてないよと慌てた読者には申しわけありません。この話はすべて、あの堺屋太一が1997年から朝日新聞に連載した長篇『平成三十年』から経済機密情報めいた部分を勝手に抽出したもの。

 旧通産省出身の経済評論家で経済企画庁長官を務め、今の安倍政権でも成長戦略担当の内閣官房参与の座にある堺屋は御年82歳。『団塊の世代』や『峠の群像』を生んだ小説家でもある。『平成三十年』では新聞掲載時点の20年後となる2017~18年、つまり平成30年とその前年の日本を描いた。連載のスタートが平成9年6月で、物語の始まりが平成29年6月。堺屋の予測した未来にこの6月、現実が追いついたことになる。

 3分の1世紀ほど前、ジョージ・オーウェルの『1984年』を当の1984年の到来を前にして読み返すことが流行ったけれど、リアル平成30年の到来まで半年を切った今、同じことが『平成三十年』で可能になった。ではさっそくと十ン年ぶりにページを繰ってみると、そこにあったのはかつてのオーウェル読み直しとはまた違った、面白さと怖さだ。

ベストセラーとなった予言の書

『平成三十年』の単行本化は、堺屋が連載終了直後、小渕政権入りしたため、森政権が倒れて閣僚を辞任した後の02年7月まで遅れた。2巻立てと大部にもなったが、退任したばかりの有名人閣僚による予言の書という箔がついたこともあったのか、各地の大手書店で売れ行き番付の上位に入り、文庫版まで含め20万部を優に超えるベストセラーとなった。

 サブタイトルは上巻が「何もしなかった日本」、下巻が「天下分け目の『改革合戦』」。両巻続けての物語や設定の大枠は次のような具合だ。

 ――2017年の日本では、少子・高齢化のみならず社会保障費や医療費の増加にも歯止めがかからず、国家予算の歳出は膨れ上がるばかり。規制緩和は先送りで旧来型の産業が保護されるなか、消費税や所得税の税率は高いのに税収は伸びず、財政赤字と国債発行が増えている。

 行政への依存から抜けきれない企業の業績も悪い。国際競争力をつけるという建前のもと、1業種あたり大手企業を2社に集約する産業政策が進められた結果、国内での競争が失われて企業の体質は劣化。大幅な円安にもかかわらず、輸出業種の大企業さえ左前で、自動車最大手が中国メーカーから買収をしかけられたり、鉄鋼最大手が経営破綻に追い込まれたり。それを契機として郵便貯金に全国規模の取り付け騒ぎまで起きる。

 少子・高齢化の進展で人口減少が始まり、農村部が超過疎化しているほか、大都市圏でも交通の便の悪い周辺部では空き家が増えてきた。医療・介護も規制の厳しさや公的支出の削減でサービスの質が低下し、民間主導のサービスの解禁を求める声が高まっている。

 このままでは手遅れになると踏んだ起業家出身の政治家が、改革志向の議員や官僚、企業経営者と協力して一般の有権者も巻き込み、一大変革をブチ上げて、クリーンなイメージや経営者感覚のみならず、政治家としての権謀術数もテコにして政権獲得を目指すが――。

 この梗概を読んだだけでは、2017年の今、この本をすぐ手にとってみようという人は少ないだろう。世界観は身の回りの現実とさして変わらないし、筋立てにも驚きは少ないと思われてしまいそうだ。だが、それは現在ただいまの視点に立っての捉え方。この世界観、この筋立てが20年も前、今より権威のあった大朝日の朝刊で毎朝披露されていたことを頭の隅に置いてほしい。

『平成三十年』が連載されたのは、昭和が平成に切り替わったと思ったら21世紀が迫ってくるなか、バブルの崩壊で経済の繁栄は終わり、政治の分野でもオセロめいた政権交代が続いて流動化が始まるという時代だった。未来予測にはニーズが高まる一方で、不信感も募っていた。バブル時代に囃された薔薇色の未来が灰色にくすんで萎んでいくのを目の当たりにして、「日経平均5万円」「10万円」の類の予測には誰もが眉に唾をつけていた。しかも、連載が始まったら山一や拓銀が潰れ出す。そういう、未来予測を世に問うのが難しい時期に、堺屋は『平成三十年』を世に問うていた。これは並大抵の度胸ではない。

 さて、この作品に対しては連載時から、人間ドラマの深みやストーリーの妙に欠けるとの批判があった。そのあたりは主な登場人物の姓を紹介するだけで感じ取ってもらえるはずだ。産業情報省課長から官房副長官にまでスピード出世を果たす主人公が「木下」、ITベンチャーを大企業に育て上げ、政界入りして首相に登り詰める経営者が「織田」、織田首相に官房副長官に取り立てられるものの、不興を買って危機管理監に左遷される産業情報省の改革派が「明智」。その他、主要なキャラクターは16世紀末の武将など歴史上の人物の名を纏っている。

 当然、ストーリーの軸となる政争も戦国時代末期の騒乱がベースで流れは読めるゆえ、読み手の興味は「この先、どうなるか」より「この先、どこまで行くのか」。本能寺の変で終わるのか、それとも木下 =豊臣の天下まで進むのか、まさか徳川の世まで? ……という具合で『平成三十年』、舞台が未来の歴史小説と呼んでもいい。

 堺屋がそこでドラマ性だ物語性だに重きを置いていないことは明らかで、人間が薄っぺらなどという批評は木に縁りて魚式の見当違い。この小説で読むべきは、堺屋が生み出した平成30年の日本であって、それこそ『1984年』の管理社会や『ジュラシック・パーク』の恐竜のような見どころなのだ。

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