炎上後タイトル変更したあのドラマ、問題は「ブス」ではなく「ちょうどいい」

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 ブスという言葉で思い出すのが、太郎冠者と次郎冠者。確か小学生のとき、教科書に「附子」の話が載っていた。主人から貴重な水飴を「附子という猛毒だ」と言われた従者。主人の留守中にたまらず食べてしまうが、毒をもって死んで詫びるつもりだったと言い訳する笑い話だった。初めは「浅田飴みたいな感じかな」と甘美な思いにふけったが、授業後すぐ口の中は苦くなった。というのも、男子は教科書を音読するテイで、女子にブスの言葉を浴びせ続けたから。ブスを自覚している女子は、この話のせいで居心地の悪い時間を過ごしたものだ。

 今では、浴びせられても手鼻をかんで飛ばすくらい、どうでもいい言葉になったのだが、破壊力があることは確かだ。そりゃドラマのタイトルにしたいよね、ブスを連呼して、女性たちの劣等感を刺激したいよね。会議であまり深く考えず、薄ら笑いする人たちの顔が目に浮かぶのが「人生が楽しくなる幸せの法則」である。ま、ご承知の通り大炎上、タイトルは急遽変更。迅速な対応に驚いたが、逆に胡散臭い自己啓発本みたいなタイトルになっとる。

「顔がブスと言ってるのではなくて、性格や生き方がブスなんです!」と言われても、ドラマの中ではブス連呼。演じるのは決してブスじゃない夏菜・高橋メアリージュン・小林きな子。ちょうどいいブスを目指せと、スパルタ講義を展開する神様役が、お笑い芸人の山崎ケイ。原作者でもある。

 コメディだし、読売テレビのこの枠のとんちきな感じが実は嫌いじゃないので、案外楽しんでいる。

 思うに、問題なのは「ブス」ではなくて「ちょうどいい」なのではないか。ただでさえブスは劣等感と自己嫌悪に苛(さいな)まれてるうえに、世間や男性、その場の権力者にとって「ちょうどいい」まで押し付けられるってのは地獄ですよ。ブスは黙って迎合しろ、と言われているような気がして不愉快なのだと思う。つうか不愉快。

 では劇中で「目指すべきちょうどいいブス」はどう描かれているのか。ロールモデルに総務部課長の伊藤修子があげられる。「ブスを自覚し、周囲に気を配り、常に穏やか。自分の意見は言わず、元カノがモデルだったというイケメン彼氏をゲットして幸せを掴んだ」という。なんかなぁ。迎合、忖度、滅私。そんな人生は楽しいのか? 幸せなのか?

 で、3人のキャラだ。自分の意見を言えない割に、思い込みによる突飛な行動で失敗する夏菜、理路整然と正論で相手の過ちや間違いを正す高橋、噂話が大好物で女性の整形顔を即座に見抜き、卒業アルバム検索能力も高い小林。自分でもモヤモヤしとる夏菜以外は直さなくてもいいのでは、と思ってしまった。会社という組織内ではちょうどよくないかもしれないが、高橋は気持ちがいいし、小林は楽しそうだけどなぁ。

 ブスの定義は美しくない。これは間違いない。そこに生きづらいだのちょうどいいだのと、甘言をまぶすからおかしなことになる。ブスはそこ痛いほどわかってるからな。附子舐めんなよ。

吉田潮(よしだ・うしお)
テレビ評論家、ライター、イラストレーター。1972年生まれの千葉県人。編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。2010年より「週刊新潮」にて「TV ふうーん録」の連載を開始(※連載中)。主要なテレビ番組はほぼすべて視聴している。

週刊新潮 2019年2月7日号掲載

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