安倍政権の「働き方改革」を叩くリベラルの本音 次なる課題は“金銭解雇”導入だ
定年制という「反リベラル」
このように日本的雇用慣行の本質は重層的な「差別」なのだが、そのなかでも大きな問題は「年齢差別」だ。
日本のサラリーマンは定年を当たり前に思っているが、終身雇用とは「超長期雇用の強制解雇制度」で、労働者の能力や意欲とは関係なく雇用契約を解除する定年制は、国際的には「反リベラル」と見なされるようになった。
アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドでは定年制は廃止されており、ヨーロッパでもイギリスやスペインがこれに続いた。「リベラルの守護者」を自任するEUが年齢による差別の禁止を加盟国に勧告すれば、こうした流れは決定的になるだろう。
日本では「定年後」が大問題になっているが、これは「定年」があるからだ。アメリカなどと同様に定年を廃止してしまえば、それぞれが自分の能力と意欲に応じて働きつづければいいだけだから、「問題」そのものがなくなってしまう。
これは「老後」に不安を感じているすべての日本人にとって朗報だと思うのだが、不思議なことに「定年廃止」を主張する識者はほとんどいない。
なぜこれほどまでに「年齢差別」にこだわるのか? その理由はいうまでもなく、定年がないと日本型雇用が維持できないからだ。
「人生100年」の時代に終身雇用を維持したまま定年をなくせば、会社はたまたま新卒で採用した社員を80年間も養いつづけねばならない。年功序列も維持しようとすれば、100歳のときの給与はとてつもない金額になる。定年のない働き方を実現しようとすれば、日本型雇用を「破壊」するしかないのだ。
老後問題とは「老後が長すぎる」という問題なのだから、定年制を廃止して生涯現役で働けるようにすれば「問題」は消滅する。定年をなくすには、年功序列・終身雇用の日本的雇用慣行と訣別しなくてはならない。
もしあなたがこの提案に同意するのなら、結論はひとつしかない。解決金を支払うことで従業員を解雇できるようにする「金銭解雇」の導入だ。
戦後日本では「会社というイエ」に所属していることが幸福だとされ、裁判所も「正社員の生活の安定」を最優先して解雇をきびしく制限してきた。
いったん雇った社員の生活を定年まで保障するのは、会社にとってきわめて苛酷な要求だ。裁判所もこのことはわかっていて、社員が不当な異動や転勤を訴えてもほとんど却下されてきた。社員の雇用を奪う解雇は認めないものの、それだけでは経営が成り立たないので、会社が社員にどのような理不尽な業務を命じても(それがたとえ追い出し部屋でも)経営の裁量の範囲で、社員はそれを甘受すべきだというのだ。
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