続「リッキー・ファウラー」と少年の「友情物語」

国際

  • ブックマーク

 米アリゾナ州で開催された「ウェイストマネジメント フェニックスオープン(1月31~2月3日)で、2016年の松山英樹(26)との激闘をはじめ何度も惜敗してきたリッキー・ファウラー(30)が、ついに初制覇した。米PGAツアーはいまその話題でもちきりだが、今回ご紹介するのは、その前週の話。

 米カリフォルニア州サンディエゴ郊外の「トーリー・パインズGC」で開催された「ファーマーズ・インシュランス・オープン」(1月24~27日)開幕前、ファウラーが幼い少年と一緒にいる場面を目にしたツアー仲間や関係者たちが、「リッキーに新しい親友ができた」と言いながら、うれしそうに微笑んでいたという話を耳にした。

 米PGAツアーが配信した動画ニュースにも、その様子がつぶさに映し出されていた。少年はテキサス州ヒューストンからやってきたジャスティン・ギルバートくん、6歳。2017年8月、ハリケーン・ハービーの被害を受け、住み家を失ったジャスティンくんと両親は途方に暮れていたが、昨年3月にボランティアとして被災地を訪れたファウラーと出会い、交流が始まったそうだ。

 そして今年。ファーマーズ・インシュランス・オープンのアンバサダーを務めるファウラーは、ジャスティンくんと両親の3人をテキサスからカリフォルニアの大会会場へ招き、楽しいひと時を一緒に過ごした。

 その様子を見守っていたツアー仲間や関係者たちが、ジャスティンくんのことをファウラーの「新しい親友」と呼んだのは、以前にもファウラーが、ある1人の少年と長く深い交流を続けていたからだ。

 その話は、ちょうど1年前のこの欄でご紹介したため、覚えている読者の方もいらっしゃることと思う(2018年2月6日「『リッキー・ファウラー』と少年の『永遠の友情』」)。

 ファウラーは、フェニックスオープン会場で2013年に出会ったグリフィン・コネルくんという少年と彼の両親と、以後5年間、交流を続けていた。気道に障害を持って生まれたグリフィンくんは、言葉を発することができなかったが、ファウラーと会うたびに笑顔を輝かせ、ファウラーもそんなグリフィンくんに励まされていたという。

 だが、昨年のフェニックスオープン開幕直前、グリフィンくんはわずか7歳で天国へ旅立った。ファウラーはグリフィンくんの写真をバッジにしてキャップに付け、悲しみをこらえながら優勝争いを演じた。

 そんな経緯を米ツアー仲間や関係者、そしてファンも、みんなが知っている。

 だからこそ、ファウラーが今年のファーマーズ・インシュランス・オープン会場で別の少年、ジャスティンくんと一緒にいる姿を見て、誰もが微笑みながら「新しいボーイフレンド」と呼んだのだ。

「生涯のファンに」

 大型のハリケーン・ハービーに襲われ、テキサス州一帯が大きな被害を受けたのは2017年8月だった。ジャスティンくんと両親は、祖母の家へ避難し、身の安全は守ることができた。しかし、親子3人が暮らしていた家は浸水し、住むことができなくなったそうだ。

 ジャスティンくんは心臓に疾患を抱えた状態でこの世に生を受けた直後、現在の父親ダニエルさんと母親ジェシカさん夫婦によって養子縁組され、ギルバート家の一員として大切に育てられている。

 5歳になるまでに4度も心臓手術を受けたため、清潔で快適な住環境はジャスティンくんの健康状態を維持する上で絶対不可欠だ。

 しかし、ギルバート家はハリケーンのような天災被害を受けた際に適用される保険には加入しておらず、ダニエルさんとジェシカさんは、途方に暮れたという。

 そんなとき、ハリケーン被災者をサポートする慈善団体や人々が存在することをSNSを通じて知った夫妻は、一縷の望みを託し、救いを求めるメッセージを送った。

 すると、国内外から次々に「救い」が舞い降りてきたという。複数の団体がギルバート家とその周辺エリアを訪れ、善意のボランティアを含めると、「200人以上の人々がやってきて、私たちをサポートしてくれた」。そのうちの1人がファウラーだったそうだ。

 ファーマーズ・インシュランス・オープンのサポートチームとともにヒューストンの被災エリアを訪れたファウラーは、被災者のために建てられ始めていたニューホームの壁にスプレーを吹き付ける作業などを手伝い、そうこうしているときに知り合ったのが、ジャスティンくんだった。

 ゴルフクラブとゴルフボールを持参して被災地へ赴いていたファウラーは、ジャスティンくんにボールを打たせ、即席レッスンを施した。

 まだハリケーン被害の恐怖やショックから抜け出せず、激しい雨が降るたびに「また洪水になるの?」と怯えていたジャスティンくんは、ファウラーとひとときを過ごして以来、元気を取り戻したそうだ。

「おかげさまで、息子はリッキーとゴルフが大好きになりました。リッキーの1日のヘルプによって、息子は彼の生涯のファンになりました」

 うれしそうに語る父親ダニエルさんの姿が印象的だった。

「1人の友でいてくれる」

 父親ダニエルさんは「1日のヘルプ」と言っていたが、ファウラー自身は「たった半日」と表現していた。

「僕が現地にいられたのは、実質的には、たった半日だった。でも、ジャスティンたち3人は、それでも喜んでくれた」

 ファウラーは、昨年まで交流を続けていたグリフィンくんのことも、このジャスティンくんのことも、自分が助けていると思うのではなく、心と心を通わせて交流する中で、自分が少年たちから「エネルギーをもらっている」「励まされている」と感じている。

 グリフィンくんのことは、「僕の一番の応援団長だった」と言っていた。そして今回は、「ジャスティンはエネルギーに溢れている」。

 ファーマーズ・インシュランス・オープン会場では選手用のロッカールームにジャスティンくん専用のロッカーを特別に用意。ファウラーに案内されて、ジャスティンくんが自分のネームプレートが付けられたロッカーを開くと、その中にはファウラーの契約先であるプーマからの贈り物がいっぱい詰まっていたという。

 ファウラーと一緒に話したり、歩いたり、走ったり、球を打ったり。クラブの修理調整をするツアーバンも見学し、会場に集まった50人の子供たちに混じってジュニア・クリニックにも参加した。

 それは、ジャスティンくんにとっても、父親ダニエルさんや母親ジェシカさんにとっても、生涯忘れることのない貴重な思い出になり、いろいろな困難を乗り越えて生きていこうと前を向く強く大きな力になっただろうと思う。

「不可能はない。何だって起こりうるし、何だって可能なのだということを、教えてもらった。リッキーは、ジャスティンや私たちと話をするとき、プロゴルファーのリッキー・ファウラーではなく、いつもリッキーという1人の友でいてくれる」

 それが何よりうれしいと言った父親ダニエルさんの言葉を聞いたとき、かつてファウラーが言っていた「僕は誰かのために勝ちたい」というフレーズが思い出された。

舩越園子
在米ゴルフジャーナリスト。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。

Foresight 2019年2月5日掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。