慰安婦、金大中事件、竹島上陸… 元駐韓大使がひもとく「韓国」反日の裏面史
元駐韓大使がひもとく「韓国」反日の裏面史――武藤正敏(1/2)
現在、日韓関係は危機に瀕している。韓国政府は昨年末に起きた火器管制レーダー照射事件について、日本に謝罪することを潔しとせず、照射の事実を否定し続けている。証拠を突き付けても態度は変わらず、逆に海自の哨戒機が低空で威嚇飛行したなどと非難してきた。韓国は、互いの主張が平行線となることで逃げ切ろうという、極めて不誠実な態度である。
それにしても、文在寅氏が大統領に就任してわずか1年半で、なぜこれほど問題が続出するのか。韓国の反日行動は、国民感情に訴えるものである。中国の反日の裏には国益の計算があり、その分合理的なのでまだ対処のしようがある。感情に基づく韓国の反日はより厄介だが、日本を攻撃する手法には一定のパターンがある。それを理解するため、戦後日韓外交史をひもといてみたい。
現在の日韓関係の土台は日韓基本条約である。
韓国側は、慰安婦問題はこの条約の交渉過程で一切議論していないとして“未解決の問題”だと主張してきたが、慰安婦問題も法的には“解決済み”だ。基本条約に付随した「請求権協定」では、両国間の請求権は「完全かつ最終的に解決」しており、今後「いかなる主張もすることができない」と明記されている。元慰安婦の存在は当時から韓国では広く知られており、交渉の場で提起しなかったのも韓国側の責任である。
ただ、その点について同情の余地もある。元慰安婦は、戦後も差別され虐げられてきた。苦労の末にやっと結婚して子供もでき、普通の生活を送れるようになった。そのような時期にあえて問題を再燃させ、彼女たちを不幸にさせたくない。そんな思いが交渉時の韓国側にもあったのだろう。
韓国政府も逆らえない挺対協
慰安婦問題に火が付いたのは1992年、当時の宮沢喜一総理が訪韓する直前のタイミングだった。総理訪韓の1カ月ほど前、韓国から大統領特使として李源京元外相が訪日したが、彼は「日韓間には何も問題がないので、気軽に浴衣がけの気持ちで訪韓して欲しい」と伝えてきていた。しかし、特使訪日の直後に朝日新聞が「慰安所の運営にあたり、軍の関与を示す新資料を発見した」「朝鮮人女性を強制連行した」などと報じたことから、ソウルの日本大使館前には連日、元慰安婦とその支持者が集まり、大規模デモを繰り広げた。
結果、韓国国民の関心は慰安婦問題に集中し、それを如何に沈静化するかが総理訪韓の最大の課題となってしまった。事態の急変を受け、加藤紘一官房長官が談話を出して批判を静めようとしたものの、首脳会談でも詰め寄られ、さらなる調査を約束させられる。
日本はまず慰安婦に関する資料の収集、慰安婦からの聞き取りを踏まえ、翌93年に河野洋平官房長官の談話という形で、「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」との調査結果を発表した。もっとも「強制連行」の証拠は見つかっていない。
次いで「アジア女性基金」を設立し、政府資金ではなく、国民から募金を集めて元慰安婦に見舞金として支給した。これは、日韓基本条約によってあくまでも“法的には解決済み”という立場を維持するためである。一方、慰安婦への配慮として、総理が自署した反省と謝罪の書簡も添付した。
このように、慰安婦問題の処理は常に、条約の法的枠組みを維持しようとする日本側の原則と、韓国の国内世論との戦いであった。しかし、「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は国内世論を煽り、日本ばかりでなく自国政府にも圧力をかけた。毎週水曜日に日本大使館前でデモを繰り広げることで当事者としての地盤を固めた。その結果、韓国政府は挺対協の意向に逆らえなくなり、次第にこの問題に対する主導権を失っていった。
アジア女性基金から7名の元慰安婦が日本からの見舞金を受領したときにも、挺対協はこの7名を侮辱し、嫌がらせをして、他の慰安婦には支給された韓国政府の補償金を受け取らせなかった。これは挺対協が慰安婦支援団体とは名ばかりの“政治団体”であることを物語っている。
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