天皇の代替わりに考えてみませんか!(石田純一)

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石田純一の「これだけ言わせて!」 第20回

 今年2019年は、平成31年といってもいいけど、大きな節目の年だ。もちろん天皇陛下の代替わりのことである。生前退位は江戸時代の光格天皇以来、202年ぶりだそうだ。レギュラーで出演している文化放送の番組でも、先日、いまの天皇陛下のことを取り上げさせていただいた。そのとき、僕の頭に浮かんだのは、メル・ギブソン監督が沖縄戦を描いた映画「ハクソー・リッジ」だった。

 そこには、良心的な兵役拒否を貫いたまま沖縄戦に参加したアメリカの衛生兵の実話が描かれていた。日本兵の奮闘によって上陸直後の米軍の中隊も大隊も壊滅したなかで、瀕死の重傷を負った仲間たちを、この衛生兵は銃ももたずに素手で助け続け、六十数人を救助した。しかも米兵だけでなく日本兵まで助けたのだ。

 太平洋戦争で唯一の地上戦が行われた沖縄。日本軍は作戦上、沖縄で時間稼ぎをしようとしたわけだが、結果、人口のほぼ3分の1が亡くなり、その後も基地の負担を強いられたまま今日に至っている。そして昭和天皇、つまり自分の父の名のもとで行われた先の戦争に、深く心を痛めておられたのが天皇陛下だった。

 皇太子時代の1975年、沖縄で海洋博が行われた際、皇族として戦後初めて沖縄を訪問されたが、このとき皇太子夫妻に向かって火炎瓶が投げつけられた。ところが、当時の皇太子殿下は「沖縄の人たちに強いられた犠牲を思うとき、これくらいはなんでもない」「覚悟してきたことで、批判しない」と、だいたいそんな趣旨のコメントを出された。そもそも皇太子殿下がこんなコメントを出すのが異例だし、その内容も、いわばテロに遭ったというのに、そんなことさえ理解できるし、想定内だというのだ。

 しかも、最初にそんな目に遭われながら沖縄を何度も訪問され、そのうえペリリュー島やサイパン島など、日本軍がほぼ全滅したかつての激戦地を訪れては、心のこもった慰霊を重ねておられる。いつも「私たちは沖縄の人たちや犠牲になった方々と共にある」と仰るのが僕には印象的で、慰霊の訪問も、こうしたコメントも、「あの悲惨な戦争を忘れてはいけない」というわれわれへのメッセージなのだと思う。

 そんな天皇陛下は、いつもこう仰っている。「父、昭和天皇64年にわたる在位の間、いかなるときも国民と苦楽を共にされた御心を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国および日本国民統合の象徴としての務めを果たす」。同じことは皇太子殿下も仰っている。また、「平成の間、戦争をしなかったことを誇りに思う」ともいい続けておられる。陛下の本当の願いなのだろう。その際、必ず「日本国憲法を遵守し」という言葉を伴うことの意味を、われわれは考えたほうがいい。少し踏み込んで言えば、憲法改正にひたすら突き進む安倍政権へのけん制のようにも思えてならない。

 ところで、先日、新聞でおもしろい見解を読んだ。フランスのマルセル・ゴーシェという哲学者の「君主こそ平等を保証する」というものだ。すなわち、君主が立法権と行政権を監視し、選挙で勝ち上がった人の暴挙を抑制する機能を果たしている、というのだ。たしかに一理ある。君主自体、不平等な存在だが、ほかの人はだれも君主になれないという点では、平等を保証しているわけだ。そういう制度が存在することの意味、その価値についても、平成が終わろうとしているいま、考えてみてはどうだろう。

 いま、沖縄の分断と呼べるようなことを、図らずも政府が進めてしまっている。それは本来、政府が解決すべきことだ。ところが現実には、国民統合の象徴としての天皇陛下がそれに心を痛め、日本国憲法の遵守を進言しておられる。なんだか、おかしな話ではないだろうか。そもそも憲法改正は立法府に属することで、行政のトップが高らかに謳うことにも違和感がある。いまこそ天皇陛下のお言葉を、あらためて深く味わい、その意味を考えてみませんか。

石田純一(いしだ・じゅんいち)
1954年生まれ。東京都出身。ドラマ・バラエティを中心に幅広く活動中。妻でプロゴルファーの東尾理子さんとの間には、12年に誕生した理汰郎くんと2人の女児がいる。元プロ野球選手の東尾修さんは義父にあたる。

2019年1月29日掲載

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