「石田純一」「加勢大周」が今だから語れる「トレンディドラマ」の舞台裏
電車の中でみんながドラマの話を
石田 自分が出た作品でどれが一番できがいいかと聞かれたら、89年のフジテレビ「同・級・生」のうち、永山耕三ディレクターが作った5話かな。彼にはみずみずしい感性があって、忘れられないシーンがあります。僕は建築設計を手がける男を演じて、女の子を廃墟に連れて行って「僕が最初にやった作品です」と案内するんです。そのとき、僕が滑って噴水におちて、助けてくれた安田成美さんを引っ張って、2人でビッチャーンとずぶ濡れになる。昔のハリウッド映画みたいな雰囲気がありましたね。
視聴率は僕らのころも20%はありましたけど、20%を超えると、電車の中でみんながそのドラマの話をしているんですよ。
加勢 今はそんな番組、ないですからね。当時はスマホもないし、学校に行ったら覚えていることを話すしかない。女の子が気になる年ごろだから、俺も女の子たちが話しているドラマを見なきゃついて行けない、という気持ちがみんなにありました。しかも、ドラマの世界がすごくオシャレだったんですよ。今の若い世代はいろんな情報を手に入れられるから、ドラマの世界と現実とのギャップがないけど、僕の世代はドラマの中に夢を見ていましたから。あの登場人物が住んでる部屋、カッコいいねってね。
石田 フジテレビの大多亮ディレクターは「みんなより1メートル先、50センチ上。20メートル先だと進み過ぎ」と言っていました。視聴者が、もしかしたら自分もこんな生活を送れるかな、と思えるバランスが大事だったんです。そういえば登場人物は、広告代理店とか出版社に勤めていることが多かったですね。
加勢 設定されていたのは、みんななんとなく知っていて、興味も持っている職業。だから、いい感じで憧れることができました。僕は91年にTBSの「ADブギ」というドラマに出たんですけど、その後、何年経っても「僕はあれを見てADになったんです」っていう人が大勢いるんです。でも、彼らに言うんですよ。「現場では、出演者みたいなかわいい子は隣りにいないぞ」ってね。
石田 制作陣が「憧れ」を作るのが上手かったんですよ。少し遡るけど、TBSの「金曜日の妻たちへ」。あれに出てきた東急田園都市線のエリアの、たまプラーザとか鷺沼に、みんな住みたいと思ったんです。
加勢 昔、ドラマを作った人はイケていました。内容も恋愛ドラマばっかりでしたよね。恋愛そのものが憧れの対象になっていた。
石田 携帯が普及して、いまはいつでも、だれとでも、簡単に連絡がとれるでしょ。すれ違いが起きないから、ドラマのいいシーンが作れないんです。たとえば、会社で部長に絞られている男を、女はひたすら待っている。で、男がいざ待ち合わせ場所に走ると、人混みや生け垣が邪魔して、すれ違う。「そんなわけないだろ!」って思うけど、そんなすれ違いさえ場面にできました。
加勢 今はメールやLINEで連絡する前にいきなり電話をかけると、「無神経!」と怒る人もいる時代。そんなシーン、作れませんよ。最近は死んだ人が蘇って、生前の彼女によい行いをするとか、「無い話」が感動を呼ぶんですよね。それがダメだと一概には言えないけど、昔は脚本家がちゃんと書き下ろしてドラマを作っていたのに、いまはマンガを実写化して済ます。だからドラマを見る前に、ある程度の情報が視聴者に入っているけど、昔は事前情報がそんなに入らないから、その分、憧れも大きくなったんですよね。
電話番号を覚える特技
石田 ギャラは今の相場がよくわからないけど、当時はバブルということもあったでしょうね。有名なのは岩城滉一さんの「やっぱり立つやつじゃないとダメだよ」という話。お札が1束だと倒れるけど、束が三つくらいあると立ちますよね。もちろん1話、1時間での話です。1クールが12話くらいですから、それくらいギャラがもらえるとCMも選べました。主演できれば無理してCMに出なくてもいい。僕でもそうでした。CMを選びすぎて評判が悪くなりましたけど。
加勢 僕は91年とかは駆け出しで、CM1本がいくらだったかよくわからないけど、最高で同時に13本くらいのCMに出ていました。
石田 それだけ引っ張りだこだったのは加勢クンの魅力ゆえだけど、トレンディドラマに出ているっていうのは、イメージがよかったですね。
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加勢 共演者との恋愛ですか? 普通に仲良くなることはあっても、一線を越えたりはなかったかな。台本でも相手役に恋していることになっているし、このドラマに出ている間はそういう気持ちでいなきゃ演技できない気がするから、暗示で好きになる、というのはわかるんですけど、その後はなんてことない。すぐ次の仕事が始まっちゃうし、打ち上げの夜で終わりだったかなぁ。
そもそもマネージャーとか取り巻きが周りに大勢いるから、アタックしに行けないんですよね。みんなスマホを持っててLINEを交換するのが当たり前、という状況とは全然違います。男が若い女優さんに「ねぇねぇ」と言っていたら、すぐにマネージャーさんがきて「なんですか」ってなります。僕だって、浅香唯ちゃんとマネージャー抜きで話したこと、なかったもん。
石田 僕は必死で覚えましたよ、電話番号。メモなんかできないですよ、マネージャーがいるから。もう特技でしたね、覚えるの。そのうち何人かとは仲良くなりましたけど、実際に撮影中にできちゃったというか、家にまで行くようになったのは1人だけかな。エキストラとかにも声をかけましたよ。「私たち、エキストラよ」って言うんだけど、エキストラだから口説いてるんだよって。主演女優とかはそうそうなかったかな。
加勢 それにくらべると、最近では連絡先交換のガードが昔ほど堅くなさそう。いま男優さん同士、若いうちからみんな仲いいでしょ。僕のときは織田裕二さんとか吉田栄作さんとか、ドラマの看板になるような人と共演したことはなかった。みんな、どこかの監督やプロデューサーのお抱えみたいになっていたので。
石田 たしかに、今とくらべたら堅いところもあったけど、僕はとにかく楽しかったですよ。学校に行くような感じでね。キスシーンがあるときなんか、昼間からどんなふうにやろうかと考えてね。で、現場で女優さんを見ると、向こうもこちらを見てたりして、そのときの「ドキッ」は、学校でときめいちゃったときのアレでしたね。
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