地味なノルウェーの生活 北欧に伝わる掟に学ぶこと(古市憲寿)
とあるテレビ番組の収録でノルウェーに来ている。
僕が初めてこの国を訪れたのは2005年。大学3年生で同級生は就活を始める時期だった。その雰囲気から逃れるように、交換留学先にノルウェーを選んだのだ。
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ノルウェーを含めた北欧は、とにかく素晴らしいイメージで語られることが多い。幸福度が高く、男女平等が徹底していて、高福祉で将来を心配しなくていい最高の社会といった具合だ。
僕も留学に来る前はそんな素朴な北欧像を抱いていた。しかし実際にノルウェーで1年間暮らしてみると、その北欧像は大きく裏切られることになった。
まず首都オスロに来て驚いたのは娯楽の少なさだ。ディズニーランドのような巨大遊園地もなければ、大きなショッピングモールもない。しかもほとんどの商店は日曜日には完全休業。休日にすることといえば、友人とのホームパーティだったり、湖のほとりを散歩したり。日本とのあまりの違いに面食らった。
手に入るものの種類も少ない。チョコレートにしても牛乳にしても、ブランドの数や新商品が出る頻度は、日本とは比べものにならない。まさに「足るを知る者は富む」を実践している人々だと思った。
北欧の「幸福」を支えていたのは、こうした地味な日常生活だったのである。若者までがまるで老後のような日々を送っている国だと思った。だから野心の強いノルウェー人は、海外へ行ってしまうことが多い。
一般的なノルウェー人はあまり多くのことを望まない。家族を持ち、家を持ち、できれば別荘やボートを持つ。そのような人並みの幸せこそが理想とされる。
オスロ大学教授の安倍オースタッド玲子さんに教えてもらったのだが、北欧には「ヤンテの掟」という考え方がある。「普通であることこそが素晴らしい」「自分を他人より優れていると思うな」といった意味で使われることが多い。要は「普通(であること)のススメ」だ。
誰かを出し抜いてまで幸せになるのではなく、あくまでも「普通」の生活の延長に幸福を求める。だから、この国で頑張りすぎることは、時に悪とされる。
安倍さんも、あまりにも熱心に教育や研究に打ち込んでいると、大学側から注意されるらしい。ストレスをためて休職されるくらいなら、毎日適度に働いてもらうほうが、社会全体にとっては利益が大きいという発想なのだろう。
いつまでも気の休まることのない競争を続け、すぐに自分と他人を比べたがる日本の人々が、北欧を理想とするのはよくわかる。
もちろんノルウェーに問題がないわけではない。移民や原油価格の下落など懸念事項は多い。個人単位でも、将来に全く不安がないという人ばかりでもない。
しかし、ノルウェー人がよく使う言葉がある。「Det ordner seg」。「大丈夫」「何とかなる」という意味だ(時に「誰かが何とかしてくれる」という願望が混じる)。このような楽観性を持てれば、日本社会も少しは生きやすくなるのかも知れない。