「ボヘミアン~」鑑賞中にもよおした「出す」考(中川淳一郎)
年末年始はタイ・バンコクに行ったのですが、やたらと辛いものばかり食べた後に映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観に映画館に行きました。開演前にまだ時間があったのでレストランで生ビールを飲み、空心菜炒めを食べ、いざ映画鑑賞に向かったのですが、1時間ほどしたところでお腹がゴロゴロ鳴り始めた。
分かっていたんですよ。タイに行くと超絶快便になることは。でも、まさかのこのタイミングかよ、と思いました。映画館のクーラーが効きすぎていたんですよね。そんなところにTシャツ・短パンで入り、1時間で体が冷えたらもうクソは出たがりますわ、そりゃ。
結局、その後の20分間、名シーンや後半への伏線となるシーンであることは理解できるものの、一番気になっていたのは「オレはクソをこの場で漏らさないだろうか……」ということです。
私は3列目中央の席にいたのですが、映画館というものは前方がイマイチな席と認識されているものです。3列目はすべて埋まっておりますが、自分の前の2列目には1人しかいません。1列目には誰もいません。20分間考えていたことの50%は、なぜ1か2列目を取らなかったのかという後悔と、いかにして他の客の迷惑にならぬよう移動し、観客席の脇の通路に入って脱兎のごとく便所へ走るかです。残りの50%も、映画のことは10%で、40%はもしも映画の途中でクソを席で漏らしてしまった場合の惨事です。
結局、上映開始後80分の段階で意を決して目の前のシートを乗り越え、2列目の空席に飛び込んで、そのまま四足歩行をして通路には出られました。全編135分もあるこの映画、あと55分クソを我慢することは無理と判断し、映画の中でなんとなく先の展開が読める&自分の好きな曲が出ないであろう部分で行動を起こしたのでした。
その後はトイレまでの所要時間約30秒、排泄行為に2分30秒、劇場内に戻るのに40秒といった経緯を経て後方の空いている席に戻り最後まで映画は楽しめたのでした。
こんな経験をしたものですから、「ku:nel(クウネル)」というライフスタイル雑誌について一つモノ申したい。人生において極めて重要な「食う」「寝る」の部分をタイトルにしておりますが、一つ足りねぇよ! と。それは「出す」です。
「ku:neldas(クウネルダス)」という語呂はオシャレ雑誌のタイトルに良いとは思わないものの、作家・椎名誠氏は対談集『喰寝呑泄(くうねるのむだす)』を刊行しております。同雑誌は「出す」を重視していないわけですが、朝の通勤列車で突然の便意をもよおした場合、その人にとっては人生が終わるかどうかの瀬戸際なわけですよ。クソをするためにトイレに行ったことがバレた男子小中学生はその後しばらく「ウンコマン」のあだ名がつけられ学級内で蔑まれます。
私も今回、映画鑑賞という高尚なカルチャーを堪能していたというのに、途中の便意により、そこに専念できなくなってしまった。これにより、むしろ「快便」をいかに達成するかを探求し、他人の突然の便意を蔑まない世の中になれば良いと平成最後の正月、心を新たにしました。